ボクシングをフットボールのストレングスとして取り入れ、しばらくの時間が経ちました。会社帰りにほぼ毎日のように通っていました。真夏でもストーブを何台もたき、窓も締め切り、ジム全体が低温のサウナのようです。
 午後7時ごろに練習しているのは大抵20人ほど。それぞれの階級でそれぞれのレベルの人がさまざまな練習をしています。3分経てばゴングが鳴り、1分休憩でまたゴング、そして3分でゴング、というサイクルが延々と続きます。
 世界戦を経験しているような選手やコーチがいる中で、ハングリーな考え方、根性の示し方、表面的にですがいろいろ勉強できました。


 体重が落ちてきた(94キロ)ので変わったことがありました。まず何しろゼロからのスタートが軽い。ボールを捕るためにQBの方に振り向くとき、腹と腰回りの脂肪が少ないので体をひねりやすい。
 デメリットとしては体当たりの時に負けてしまう確率が上がってしまったこと。この数年後に訪れる全盛期の自分と比較すると、相手と当たる時の駆け引きと技術は5分の1程度なころなので、とてもとても弱い状態です。


 ボクシングトレーニングで長時間の運動に耐えることができるようになったので、フットボールの練習自体は楽になってしまいました。しかし、まだまだ練習の仕方も下手なので、同じ練習でもしっかりとうまくなるような高負荷で練習するのは当然無理でした。


 サンスター2年目で、三武ペガサス時代の先輩である「田昌光さん」がサンスターに入団してきました。また一緒にやれるのです。
 日大4年時にはディフェンスエンド(DE)で甲子園ボウルに出場しているので、まずはQBではなくDEで。しかし日大とは役割や作戦面が全く違い、京大風(甲子園ボウルで負けた相手なのでそもそも大嫌い)のプレースタイルが気に入らない上にホケツだったので「来年はQBに戻る!」とかなり最初からおっしゃっていたのを思い出します。


 秋のシーズンには僕もそこそこ試合に出してもらえ、ある程度の数字も残せました。しかし、自分がそれほどうまくないんだということは自分が一番よくわかっています。
 もらったボールを持って思いっきり走ったら、たまたま誰もいなかったとか、ラッキーで結果がついてきている。実力は全く低い所にあるマンマ。アサインメントの理解度も一向に上がらないし、試合中に起こる緊急事態にはほとんど何も対応できない。


 視野も狭く、味方のブロックも敵のタックルも見分けがつかない。失敗してしまわないかとビビって緊張しているので実力を出すドコロではない。
 このままで良い訳がないことは自分が一番知っています。そこで壁を壊し乗り越えるためのボクシングでしたが、単に体力の一部が伸びただけで結局フットボールに大きく役立たせるという目的は達成できませんでした。


 そんなシーズンでしたが、最終節の松下電工戦。雨のナイトゲームでした。試合中盤、キックオフリターナーだった僕の所に相手の蹴ったボールが飛んできました。雨と夜でボールが見づらいのでビビっていたら、キャッチミスして落としてしまいました。
 しかし、そこは冷静に拾い上げ、走り始めました。スグにタックルされたのですが、ここでもう一度ボールをファンブル。自陣で相手にボールを渡してしまうという結果になりました。
 1プレーで2度の落球。この機を松下電工は得点に結びつけ、試合終了。小差でしたがあのファンブルで試合に負けてしまいました。


 翌日、チームは練習場に集合しました。同じくキックオフリターナーのポジションに入っていた神戸大OBのスーパーランナー井場選手が「多聞さん、コレはないですわー!」と僕に新聞を持って迫ってきます。何だろうと記事を読むと【サンスター井場、痛恨のファンブル】という見出しで、昨夜の敗因は井場選手ということになっているのです。
 もちろん井場選手はこの試合でも大活躍でしたしファンブルもしていません。どちらかというと僕の落としたボールを敵に取られたにせよリカバーしに行ってくれた恩人です。有名人とはこういう責任も負わなければならないんだなと、勉強になった次第です。


 試合当日と翌日に井場選手と同じく神戸大OBの萬谷友也コーチと話し合った結果、落球の原因は視力の悪さにあるとの結論が出ました。実は僕は強度の近視で、当時の視力が両目共に0.08でした。
 実は雨の夜に70ヤード向うで蹴られたボールなど、かなり自分に近づくまで見えていなかったのです。そこで当時はまだまだ高額で高級品だった「使い捨てコンタクトレンズ」を買いにいきました。


 コンタクトレンズを装着して視力が矯正された僕は、ボールを遠くに飛ばす機械(通称マリーノ君)で70ヤード向うからボールを飛ばし、それをキャッチする練習をしに萬谷コーチに頼みサンスターグラウンドに行きました。
 コンタクトレンズを装着した世界は今までと全く違うことがわかりました。ボールの落下地点もスグに判断でき、ボールに描いてある線や縫い目も見えるのです。もちろんキャッチすることなど容易です。ほかのみんなはこんなに見えた状態でプレーしていたのか…。


 では、なぜこんな視力のままでフットボールをしていたのかというと一応理由があるのです。練習場までは自動車を運転していきますが、こんな視力じゃ免許証は当然「眼鏡等」の条件付きです。そしてその眼鏡を外して練習をしていたのです。ですから見えていないことは完璧に自覚しているのです。


 大学生の時に読んだ専門誌(当時は2誌あったがどっちだったか失念)の中で明治大学の名ランナー吉村祐二さんが「ランニングバックは眼が悪くてもいい。相手の細かい部分を見る必要はなく、フィールド全体をぼやーっと視野に入れろ」と言うようなことをおっしゃっていたのです。
 それを読んだド近眼の僕は「おー、それは丁度いい!」となったことは言うまでもありません。それ以来、コンタクトレンズやスポーツ眼鏡を使用するという発想が全くありませんでした。


 これで飛んで来るボールがクッキリ見えるようになり世界が変わります。そしてこの年度が始まる少し前に、この後の自分のフットボール人生を大きく変える出来事が起こります。

【写真】サンスター時代の多聞さん