練習を終えた翌日、榎並康之コーチと熊野隆文コーチが待つコーチ室に呼ばれました。「タモン、お前もしかして、オフェンスのブロックアサインメント知らんとプレーしてへんか?」という質問でした。
 もちろん僕はそんなの覚えていませんので「ハイ! 知りません!」と元気に答えます。というか、正直なところ興味もないし覚えなくてはならないんだとその時知りました。


 するとあきれ顔で「せやろ思たわ。アホかお前。お前を走らせるために、みんながいろいろやっとんねん。作戦をちゃんと覚えろ!」ということで、その場でホワイトボードを使っていろいろ習いました。
 選手それぞれの細かい役割をここまでキッチリ決めてるんや、と日常のミーティングでうすうす気付いていましたが、とてもビックリでした。


 図で説明すると、僕がFBで真ん中のランプレーをします。左側のGがDTをトラップブロックするその瞬間を抜けていく。
 しかし両コーチに指摘されたのはその後のコースです。MをブロックするためにRTがいくから、オマエはそれを知った上で右にコースを変えてその後は大好きな縦に思いっきり突っ込めと。
 いまならこんなことは思いっきり当然ですし、何ならこのMをどう動かして(騙して)味方のRTがブロックしやすくなり、なおかつ後ろのSSとFSをどう処理するかまでキチンと整理して臨むのは当然です。

 そこでお二人からいただいた言葉にこういうのがありました。「ええか、俺らがお前を絶対に日本一のランニングバック(RB)にしたる。だからしっかりやれよ!」です。


 三武ペガサス入団のきっかけとなる日大OBの楢崎五郎さんに「一緒に日本一を目指そうよ」と声を掛けていただき、シルバースターの野村さんにも「イチバンを目指せ」と言っていただき、そして今度は関西学院で甲子園ボウルを湧かせた主力選手だったお二人が自分を日本一の選手にしてやる、と言ってくださったのです。
 これはおそらく自分はこの超一流の人たちからは、ホンマに日本一のランニングバックになれるかもしれない、という風に見えているのではないか? 素質あるんちゃうかオレ? 思ってた通りやん! よっしゃコレまで以上にいろいろ頑張るで! と元気づけられたのは言うまでもありません。


 このまま頑張ればサンスターも強豪だし日本一を狙えることは明確です。つい2年前も東京スーパーボウル(現ジャパンXボウル)に出場を果たしているわけですから。


 では自分自身何を頑張ればいいのか? とりあえずあまりにも落第点な「フットボールIQ」の向上ですね。
 サンスターで1シーズンを過ごしたとはいえ、ミーティングについていけているとは到底思えない理解度の低さは、自分でも分かっていました。と言っても関学や京大、その他強豪校のOBたちは元々の賢い脳みそがありながら、フットボールの複雑で難解な作戦や理屈を何年間も厳しい現場で習い経験して来ているので、到底かないっこありません。
 自分が彼らに勝っていることといえば、パワー、スピード、ヤル気、フットボールが好きな年数、三武ペガサスの根性だけです。でも、あれ? なんや結構勝ってるトコ多いやんか。じゃあフットボールIQは無視して、勝ってるところをもっと伸〜ばそっとなり、毎日のトレーニングの量を増やしました。


・ 会社が終わってスグに毎日フィットネスクラブへ行く
・ 昼休みにサンスターのグラウンドで走る
・ 夜のフィットネスクラブが終わったらサンスターグラウンドで走る
・ 会社の倉庫にウエート器材を持ち込み空き時間にトレーニング
・ 出先や会社近くなどの公園の小さなスペースでスピード系のトレーニング
・ チーム練習の週に3度(木夜/土/日)は絶対に休まない
・ 会社の慰安旅行なども欠席し徹底的に体調管理
・ 食事の量や質、時間や回数も完全に管理する
・ 宴席にも行かず酒もほとんど飲まない


 と、こう書くとストイックだなあと思われてしまいますが、運動家である以上、ましてや業界内でもまだ無名で認められていない身分で、普段の生活で楽しいことを求めていてどうする? 東京スーパーボウルで活躍するのが目標なのに、遊んでいる場合ではありませんでしたし、気持ちの余裕もありませんでした。
 そもそも給料が安く、生活費以外に使える余裕がなかったことも、一生懸命頑張れた理由の一つだったかもしれません。


 しかし、思いつく限りのことを全て全力でやりまくってもチーム内での評価アップにはなかなか結びつかず、そして自分の中でのランニングバックとしての性能アップも体感できないもどかしい日々が続きます。
 そのため会社に行く時間が惜しく、常に何かしらフットボールにつながる努力がしたくてしたくてたまらない時期を過ごしました。


 榎並コーチと熊野コーチの言葉を信じ、「俺はそのうち日本一や!」と勝手に大船に乗ったつもりの余裕も心のどこかに置きながら、努力を怠る勇気もなく、毎日を必死のパッチで生きていました。


 結局1年目はいくつかのタッチダウンとわずかな獲得ヤードで1部リーグの歴史に名を刻むことに成功。しかし、今調べてみるとXリーグの公式サイト内にある記録集は1997年以降しかなく、1995年の僕の記録は見ることができません。
 苦悩の成長期はまだしばらく続きます。

【写真】サンスター時代の多聞さん