【三武ペガサスで学んだこと】
 ▽チーム理念
 風林火山(ミーティングルームの壁に大きく貼ってあったので、たぶんコレがチーム理念だったと思う)


 ▽試合に負けても己は負けるな
 スコアボードでは負けたとしても自分自身は相手に勝っていたのかどうかを考えろ。逆に試合では勝っても自分が負けていては意味がない。


 ▽勝てば何でも良いのではない、美しくカッコ良く勝て
 敵にブチ当たられて尻もちをついて「相手の侵攻を少しの時間でも稼いだのだから良し」とはしない。美しくカッコ良く勝ってこそ勝利。

 ▽味方を信じろ
 自分達は人生の安定を求めてこのチームに入団したのではない。勝ちたくて勝ちたくて日本一になりたくてどうしようもない者だけが、アメリカンフットボールのことだけを真剣に考えて毎日を過ごす集団である。味方を信じるには信じてもらえる自分になること。


 ▽心を安定させよ
 良いプレーや悪いプレー、勝った負けた、暑い寒い、痛い辛い、うれしい悲しい、そんなことは常時起こり得るわけで、イチイチそんな事に気をとらわれず、するべきコトに集中せよ。


 ▽その選択が最良かどうかはチームメートが決める
 自分がどう感じてどう思ったかではなく、仲間がどう思ったのかが重要。


 ▽ユニホームをセンスよく着こなせ
 ユニホームのシワや汚れ、ほつれなどもってのほか。お客様や敵に見られていることを忘れず身だしなみには細心の注意を。


 もちろんこの他にもたくさんの重要なことをたくさん学びました。そしてこの「訓」を監督やコーチなしで実践していたことがすごいと思います。


 今の僕は当時の彼らより20歳ほど年齢が上です。もしも今、昔に戻れるならばあの三武ペガサス球団の監督(またはヘッドコーチ)として時代をさかのぼりたいと強く思います。
 熱い気持ちだけでガムシャラに暴れていたオールジャパン級の猛者を率いて、ライスボウルの舞台で…と考えただけでワクワクします。なぜあのチームにコーチや監督がいなかったのか、今の僕にはわかりません。


 フットボールに不可欠な闘志や技術、経験のあった彼らをフットボールのフィールドで生かし切れなかった組織力が悔やまれます。あと少しのメンバー補強とゲームマネジメント力があれば、1部リーグ昇格はもっともっと簡単だったと思います。
 バブル崩壊直後で不景気になっていく途中でしたが、いかに練習や規律が厳しい社会人チームと言えど、夢を持った人は全国にたくさんいただろうし、勝てば勝つほどペガサス球団の魅力を感じてくれる人が増えていっただろうし、あと10人の戦力あればニッポンのフットボールを変えられたハズです。


 しかし現実のハナシとしては、この年のオフ期に結婚し私生活の安定(プロのスポーツ選手は早期の結婚が成功には必須であるという説を信じていた)を図ったものの、少数精鋭のチームなのに主力選手の大半が引退や退団でいなくなり、新人も数名加入してきたが未経験者も含まれていたりして前途多難。
 僕自身もチーム内でも古株の上級者となり、ランニングバックだけでは済まされず守備もやることになりました。


 学生時代、守備に関しては全てのポジションを経験していたとは言え,RB以外のポジションは特にうまくなりたいワケでもなく、興味のない仕事では情熱も湧きません。
 そしてまた春のトーナメント「ジュニアパールボウル」を勝ち進み4年連続の決勝戦進出となりました。われわれペガサス軍団と春の決勝で当たったチームは、全てその年の秋に1部リーグに昇格するのが当り前になっていました。
 1年目は鹿島ディアーズ。2年目はさくら銀行。3年目は東京海上。そして4年目はその東京海上に入替戦で負けて落ちて来た三菱電機ソシオテックスです。


 前半リードするも、後半にサラッと逆転され敗退。4年連続決勝戦での敗退です。自分達を当時のスーパーボウル4連敗のバファロー・ビルズに重ね合わせて慰め合っているのが関の山なダメ集団になってきていました。


 秋のシーズンも散々で入替戦にも届かない中途半端な結果となり終了。自身はシーズン途中に肩を負傷し、最終戦の住友銀行戦でも足首にけがをするという結果となりました。チームも自身も過去最悪の結果で、「もうこのチームでは勝てない。去るしかない」と考えるようになっていました。

【写真】三武ペガサス時代の多聞さん