7月の24日といいますと思い出すのが16年前、ウィスコンシン州でパッカーズのサマーキャンプに参加していた時です。29歳の僕に2人目の子どもが生まれた日でもあります。
 「もしもし? これホンマにアメリカかいな? 生まれたで! また女の子や! なんべんも電話したんやで! フへへへへ! ホナ電話代高いから切るで!」。中村フミさん(タモンのママ/ゴリゴリのO型)から国際電話を受け、当時のヘッドコーチだったマイク・ホルムグレン夫妻や、クオーターバックのブレット・ファーブ君、“防衛大臣”の故レジー・ホワイト氏ら、世界的に有名な人々からも祝福してもらいました。


 ファーブ君に至っては「それはメデタいやないか! 俺のサインでよかったら何百枚でも書いたるで! グヘヘへ〜!」と億万長者らしからぬ安上がりなプレゼントを提案してきたので「それはありがたい。今からランボーフィールドの売店(選手や関係者は3割引で買える上に、顔を見ただけで僕が選手だとわかっている売店の売り子もすごい?)でパッカーズグッズを買って来るから頼むわ!」と言うやいなや、ダッシュで買い物。
 ブレット君に「ホナ、コレ全部にサインヨロシク!」と100以上のグッズを彼の前に。「ヒー、ウソやん! マジでこんなようさん書かなアカンの? でも約束したしな、書くわ」言うて、1時間ほどかけて必死で書いてくれました。


 よだれかけ、上下ツナギになっているベビー服、チーズヘッド、Tシャツやスウェット、それはそれは何から何まで全部に書いてくれました。
 でも結局はそういうのって毎日洗濯するのでサインが段々薄れてしまったので、ちょっともったいなかったですけどね。お古を近所の人たちに譲る時も「有名な選手のサイン入りやねんで」と自慢したもんです。


 パッカーズにとって、日本人との契約はもちろん初のことだったし、キャンプ中は話題も少ないので、地元でもかなりの数のメディアに取材されました。
 スポーツニュースはもちろん、スポーツ新聞にも連日大きな写真入りで取り上げられ、イチバン覚えているのが子どもたちに囲まれてサインしているシーンの写真入り記事が、ものすごく大きな面積を占め、「ファンにサインするナカムラ」みたいな感じでしたが、コレがちょうどムスメの誕生日である7月24日だったのです。
 記念に残しておき日本に持ち帰って自慢しようと30部ほど入手し、部屋の棚に丁寧にそろえて置いておきました。


 翌日練習から戻るとあの新聞の束が置いた場所にないのです。ルームメートに聞いても「知らない」と言います。そうです。ルーム係がゴミやと思うて捨ててしまいよったんです。
 棚の上に何十部も綺麗に重ねて置いてある新聞を、ゴミやと思う思考回路にそもそも問題がありますが、こちとら一生の記念になるハズの物が消えているのですから慌てます。


 とりあえずゴミ収集所(キャンプ地となっていた大学構内全てのゴミが集められる巨大な施設)へ行き、ゴミの山をミーティングの集合時間ギリギリまでの2時間ほどを必死で捜索。冷房も扇風機も照明もない悪臭完全密室で泣きながら汗だくになって捜しましたが見つからず。


 これを「アメリカはどうなってんねん?」とチームのRB陣に訴え、翌日数名が1部ずつ部屋にあったのを持って来てくれました。なんで1部だけ部屋に置いてあったその人たちの新聞は片付けられずに残っていたのかは疑問ですが、まあ仕方ありません。
 これをエミット・スミス氏の実弟、エモリー・スミス君が「ミッシングニューズペーパー事件」と名付けてくれました。


 アメリカ中のあこがれであり、男の誇りと人生を懸けた戦いの場所でオマエは何をやっとるんや! とお思いでしょうが、なぜキャンプ開始直後から遊び半分観光丸出しな姿勢なのかはまたいずれお話しします。


 あれから16年が経ち、僕がフットボールをしていた場所から1万5000キロ離れた所で生まれた赤ん坊が16歳になりました。子どもが生まれるというのに、迷わず「プレーフットボール」を選んだ父もあれから16年経ち、選手も引退。怪我のせいで、今では走ることことすらできなくなりました。
 君も何かに打ち込み、のめり込めるようなことが見つかればいいね。僕のようにのめり込み過ぎて、人生の大切なものを引退してからようやく学ぶ、なんてことにはならないように注意しながらね。


 「トコ、16歳のお誕生日おめでとう! 2000キロ離れて暮らす父より」―。とは言うても、結局は最新型の携帯電話を買わされましたけどね。

【写真】ランボーフィールドでNFLのグリンベイ・パッカーズと契約する多聞さん