「最強RBへの道・初級編」が好評だったようで、調子に乗って2カ月も続けてしまいました。中級者編になると、細かすぎて文字だけでは伝え切れない心配があるので、もう少しお時間をいただきたいと思います。


 さて、「自分物語⑥」からの続きですが、アメリカに渡りいよいよ帰国しました。秋のリーグ戦途中で帰国し、シーズンを終え大学時代の選手生活に幕を閉じます。このとき体重は102キロ。


 そしていよいよあの伝説のチーム「株式会社三武(みつたけ)ペガサス球団」に入社する時がやってきたのです。社員は営利活動を一切行なわずフットボールだけでお給料がもらえるという夢のような会社です。
 チームのクラブハウスは、1階に事務局と食堂、トレーニングルームに大浴場と応接室。2階は独身寮として15部屋ほど。各部屋6畳ほどのフローリング。水道や風呂トイレは全て共同。ギリギリ何とか個室だったのが救いでした。


 初任給は税金や社会保険、寮費などが引かれて手取りで13万7000円。しかし僕は学生時代に抱えていたクルマやバイクのローンが残っており、その額が何と13万4000円。毎月3000円しか残らないことが判明しました。
 しかし、食事が出るということで、死ぬことはないだろうと思っていたら何と食事は夕食だけ! しかも土日はなし。アウトやん。


 しかし、本分はフットボール。うまくなれば昇給するということで、必死のパッチで毎日を過ごしました。
 1年前に体験合宿に来た時は怒られたりはせず、自身の実力のなさを毎日悲しむ程度でしたが、入団して来た下っ端に優しくする人間性のセンパイは、ほんの数人しか存在しないゴリゴリのチームでした。


 まずはフットボールの基礎である「アタリ」の練習をさせられます。体重も100キロ以上あるからと「アタリ」の練習を簡単に考えていたのが大間違い。センパイらと対戦(いわゆるOne on One)などしてみると、何一つウマくいきません。もちろん100%勝てません。
 その上にイヤなセンパイがいるんです。「おいオマエ、大阪じゃどうか知らねーけど、そんなダサいシャツ着てカッコいいと思ってんの? 何このショルダー。こんなのドコで売ってんだよ!」と鼻で笑いながら言って来るのです。
 僕の持ち物や発言に対して何かにつけてかなりの度合いでその人から冷酷なツッコミが入るのです。イヤな奴ですわ。誰かって? 優しい紳士なイメージな70番の人(写真参照ください)です。
 大阪と東京じゃイジメ方も全然違うので最初はとてもビックリしましたが、慣れてくれば単なる冗談の一環であることがわかってきてストレスも減ってきました。


 そんな事より一向にうまくならないフットボールが問題です。
 視野は狭く、スグに転けてしまう僕に、試合前に出されたアドバイスは「開いていると思った所に迷わず突っ込め。テメーはそれしかできねーんだからよ。横に逃げたらぶっ殺すからな。あとファンブルしてもぶっ殺すからな」でした。


 チームは専用のグラウンドがなく、人数も20人居なかったので対戦式の練習があまりできません。なので、いろいろな大学のグラウンドへ合同練習させてもらいに行くことがありました。拓殖大学、日本体育大学、専修大学、日本大学に行った覚えがあります。


 当時2部リーグだった拓殖大学に行ったとき、僕はなぜかコーナーバック(CB)のポジションに入り、拓殖大の1年生ワイドレシーバー(WR)と対戦しましたが、少し当たられただけで真後ろに吹っ飛ばされいわゆる「アオテン」をさせられたこともあります。
 そして専修大学とのスクリメージでは、ディフェンスエンド(DE)に入りましたが、当時日本最速で最強だったウィッシュボーン攻撃が僕には全く見えず、1プレーたりともボールがどこにあるかわかりませんでした。
 同じRBとして、あの速度で曲がりくねってエンドゾーンまで走り去る彼らにいつかは追い付き追い越せる日が来るなどとは、到底思えない日々が延々と続きました。


 そして春の公式戦「パールボウル」が始まります。2部リーグ以下は「ジュニア・パールボウル」という名前でした。初めて2部リーグのレベルでプレーするので緊張します。
 ゲーム前、主将の楢崎五郎さんに「赤いユニフォーム似合うじゃん」と声を掛けていただいたたおかげで、少し緊張がほぐれ、練習通り精いっぱいプレーしました。
 相手はそれほど強くない3部リーグ所属のチームでしたが、当然ながら自分の実力よりは格が上の選手が大勢いる中でロクな仕事ができず、試合中も試合後も随分と叱られました。


 トーナメントを順当に勝ち上がり、生まれて初めて東京ドームで試合をすることになりました。決勝戦です。1部リーグの決勝戦「富士通vsオンワード」の前座でやるわけです。
 相手はさくら銀行ダイノス。総獲得距離で380ヤードに対しさくら銀行ダイノスは64ヤード。しかし残念ながら負け。入団してからたったの3カ月しか活動していないけれども、月曜〜土曜まで毎日これほどまでにハードにフットボールを練習したことがない僕には長く辛い3カ月でした。
 雪の積もる日も雨の日も関係なく練習してきた日々を思い出し、表彰式ではとても悲しい気持ちになりました。
 試合に勝った、負けたということよりも、まだまだ実力不足で何をどうすればうまくなるのかサッパリわからない状態で、チームの先輩達を信じて、彼らの言うことを全て聞いて必死に頑張ればどうにかなる、と強く自分に誓いました。


 そして秋のリーグ戦でまたもやこのさくら銀行ダイノスに負け、1部リーグ昇格への道は閉ざされました。そして彼らは1部リーグへと登って行きました。1年間プレーして、少しはこのレベルに慣れてきたような感触を持ってきました。給料も少しだけ上がりました。
(つづく)

【写真】三武ペガサスでプレーしていたころの多聞さん