引退を決意した理由は「肘が痛くてボールが以前のように投げられなくなった」から。まあ、何ともアッサリしたもんだと思いました。47歳までやってチョット肘が痛いくらいで引退するって意味わかりませんが、本人の問題なので仕方ありません。


 SNSで引退を表明した日本大学フェニックス出身、田昌光センパイのタイムラインには、ファンや仲間から多くのねぎらいや引退を惜しむコメントが書かれていました。
 「センパイ、お疲れさまでした」なんて、テキトーで安易な言葉じゃ失礼かと思うだけで、気の利いたセリフも思い浮かばないまま数日が過ぎてしまいました。


 新しいドアをドンドン開けていくことを毎年楽しむスタイル。何ならポジションまで変えちゃうほどの「フットボールクレイジー」は、僕の大切な「東京のアニキ」であり「親友」です。


 今回は、偉大なセンパイのことを少しでも皆さんに知ってもらいたい! 忘れてもらいたくない!という思いで『田昌光オーンステージー!』と銘打ち、田センパイのフットボールライフ、ビッグな思い出トップ10を発表していただくことに致しました。


 田センパイの思い出ナンバーワンは、やはりコレ!
 【第1位】1987年12月13日 甲子園ボウル(大学4年)
 選考理由:相手は前年と同じ京都大学ギャングスターズ。QB東海辰弥君(怪物くん)の早いタイミングパスに全くプレッシャーをかけることができなかった。前年度の甲子園ボウルでは、出場できず悔しい思いをしたので、QBからDEに急き転向し、4年生ながら3軍からのスタート。
 楢崎五郎キャプテンが毎日つきっきりで、朝から晩まで指導してくれたので1年間を無事に1軍でプレーできたが敗れた。勝って篠竹監督を胴上げしたかったがかなわず、いまに悔しさが残るフットボール人生最悪の思い出である。
〈タモン寸評〉センパイ、ということは春の開幕までの短期間でスターターなったんですか? しかも前年は5―2だったのが4―3になったのに、すごいですね。しかし、あのゲームは今のセンパイでは考えられないほどマジメな面構えでしたね〜。イヤ〜怪物くんじゃ相手が悪いですわ〜。


 【第2位】1983年12月 日本大学フェニックス特別推薦枠争奪トライアウト(通称セレクション)
 強力な紹介者がいなければ受験することすらできないという敷居の高さであったが、お願いに行った高校生の自分に篠竹監督が「セレクションで総合成績トップ3に入れば入れてやる」と優しい眼差しで言ってくださった。篠竹監督の一言がなければフェニックスに入れなかったし、これほどフットボー ルを続けることはなかったと思う。
〈タモン寸評〉え? センパイ、セレクションで3位に入ったんですか? まあまあすごかったんですね。これって基礎体力測定なんですよね確か?
田:そうだよ。1位がQBの佐藤トモ。2位が俺。3位が楢崎五郎。


 【第3位】1984年日大フェニックスグラウンドでの1軍練習
 当時の日大は練習の最後に毎日試合をしていました。1軍オフェンスは3Qまで4年でエースQBの松岡秀樹さん、最終の4Qからは他のQBや田が日替わりでプレー。TDを取れないと先輩達である一軍オフェンスの全員が罰を受けた。申し訳なさで、生まれて初めて胃が痛いという経験をしたのが、後のフットボール人生にモノすごく役立った。
〈タモン寸評〉松岡サンの後で1年坊の田センパイじゃ、守備陣は楽チンだったことでしょうね〜。
田:うるせえ!


 【第4位】2005年1月15日 チャレンジボウルMVP受賞と副キャプテン
 日本代表選考試合のチャレンジボウル(オールスターゲーム)に最年長での出場だった。ブレナンと井本それぞれにTDパスを決めて逆転勝利。そしてMVP受賞。表彰式で皆が胴上げしてくれたのが本当にうれしかった。
〈タモン寸評〉チャレンジボウルって何ですか? 関西にはないですよ
田:オールスターだっつってんだろ!


 【第5位】2012年9月4日 オール三菱ライオンズ戦の逆転ドライブ。名付けて「DEN MAJIC」。秋季リーグ初戦。このゲームを落とすとプレーオフ出場が厳しくなる。3―7でリードされて迎えた自陣20ヤードからの攻撃。4Q残り時間2分。ここからの出場。1分56秒を使ってのTDドライブ。かなり楽しかった。
〈タモン寸評〉交代を告げるのはオフェンスコーディネーターのご自身ですよね? 目立ちたがりにも、ほどがあるんとちゃいますか? QBコータイ、俺って言うんですか? ウヒヒヒヒ〜!
田:それはそれで難しいんだよ…。


 【第6位】2002年2月 36歳でアサヒ飲料入部
 2年連続で社会人チャンプのアサヒ飲料チャレンジャーズに、中村多聞ヘッドコーチに誘われ入部。このころから既に大ベテランと言われていました。この移籍が忘れていた勝ち方を教えてくれた。
〈タモン寸評〉(ヘッドコーチの)藤田さんが辞めて弱体化が明確だったのを、どうにかしたい一心で、三武ペガサスの厳しさをナヨナヨしたチームに注入してほしかったんです。でもセンパイはホケツだったので、おとなしかったから役立たずでしたね。でも大雨のゲームで60ヤードのロングパス投げたのはビックリしました。このあと10年以上もプレーしたんですね。エグいですね。


 【第7位】1993年冬 三武ペガサスで1部との入替戦
 日本一を目指して作られたチームの最初で最後の1部への挑戦。対さくら銀行。多聞は活躍していたけど2ファンブルロスト。最後のFGもオマエが外して負けたんだよな確か。このゲームに敗れて主力が抜け、チームは事実上終焉。「タラレバ」は言いたくないが、勝っていたら面白かったかもしれないと思っている。
〈タモン寸評〉ちょーっと、ボク用事があるので失礼しまーすサイナラー。
田:テメーふざけんな!


 【第8位】2003年2月 オンワード・スカイラークスでライスボウル
 アサヒ飲料を退部した後、大学の後輩であるQB須永から連絡をもらい入部。パッシングスキームを新たに学んだ。ここで自分がやりたいパッシングオフェンスを見つけることができた。あまり出番はなかったが、ライスボウルまで行き大事な1年間となった。
〈タモン寸評〉チーム変わりすぎでしょ。明らかに友達作りが目的ですよね、こんなん。でもライスボウル負けたんですよね。
田:オマエも関学に負けたじゃねーかよ!


 【第9位】2005、06、07年 ハスキーズで2部3連覇
 オンワード・スカイラークスで学んだオフェンスを思う存分プレーしたくてハスキーズへ。3年連続でパス1400ヤード。成功率7割以上でリーディングパサーになる。1部でまた投げたくなった原動力だった。
〈タモン寸評〉トム・ブレイディぐらい投げましたね〜。さ、次行きましょか。


 【第10位】タモンの活躍
 1999年にドイツへ応援に行った時の試合は、引退した(NFLカウボーイズQB)トロイ・エイクマンがタモンの試合を解説しているという信じ難い状況。そしてその後にライスボウルで優勝したりと、本当にうれしかった。あの時ドイツで、NYGのQBに個人レッスンしてもらって、日本とアメリカじゃこんな簡単な基礎訓練でも考え方ややり方が違うんだなと勉強させられた。あれで意識が変わってうまくなったもん俺。
〈タモン寸評〉センパイありがとうございます。全てセンパイのおかげです。


 大柄な家系で筋肉質、けがをしにくい体質、強い肩、才能や環境に恵まれているとはいえ、グータラ寝ていて47歳まで競技を続けるのは不可能でしょう。
 本人は「一つ一つを乗り越えてソレを楽しんでいるだけ」などと言いますが、並大抵の努力ではなかったでしょう。
 プロ選手ではないので「タダ好きだから」という理由だけで、仕事や家庭以外の時間をフットボールに費やしてきたエネルギー量は計り知れません。コレがこのオトコのカッコ良さ。
 痛めた肘がスグに治って現役復帰しても、もうこのコラムでは書きません。センパイ、今度のハドルボウルはボクのチームで出てください。

【写真】引退を表明した47歳のQB田昌光さん=撮影:Yosei Kozano、2013年、横浜スタジアム