2万5000人を超える観衆が見守る中、12月15日に東京ドームで行われたジャパンエックスボウル。富士通の初優勝に向けたカウントダウンが進む中、この瞬間を誰よりも待ち望んでいた伊藤桃代マネジャーの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


 大学時代にアメリカンフットボール部のマネジャーとして活動していた伊藤さんは、1987年にシステムエンジニア(SE)として富士通に入社した。88年、「もう一度学生時代の熱い気持ちに戻りたい」と、3年前に創部したばかりの「富士通フロンティアーズ」にマネジャーとして入部する。


 当時の富士通は1部に昇格したばかりで、まだ強豪相手には歯が立たなかったが、「ゆっくりだけど、みんなで一歩ずつ階段を上っている感じだった」とチーム創世記を振り返る。
 WRとして活躍した伊藤敦司さんと結婚し、出産を機に92年にチームを退いた。 しかし、「今の自分にも何かできることがあるんじゃないか」と考えた伊藤さんは、当時としては珍しいアナライジング(分析)スタッフとしてチームに復帰する。


 90年代後半、富士通のSE真弓英彦さんによって開発されたアメリカンフットボール専用の戦略解析システム「CASDAS(キャスダス)」が、日本フットボール界に革命をもたらす。
 キャスダスの登場により、プレーの種類や状況に応じた映像を、瞬時にデータベースから引き出して閲覧することが可能になった。このシステムは社会人や大学のチームで幅広く採用され、15年以上たった現在でも使われている。


 そして、このキャスダス開発の基礎を築いたのが伊藤さんだった。アナライジングスタッフとして活動していた伊藤さんは、コーチやマネジャーがプレーとビデオの整理に膨大な時間を費やされていることに着目する。何とかこの作業を省力化することはできないだろうかと考えた。
 SEの技術を生かして、試行錯誤を重ねながらプレーを瞬時に整理するプログラムを開発した。「ほとんど役に立たないポンコツだった」と伊藤さんは謙遜するが、この時の努力が後に万能な解析システムとなって実を結んだ。


 その後、転勤などでチームを離れていた伊藤さんは、2004年に再びマネジャーとしてチームに復帰する。この時から川崎市の事務所に、フロンティアーズの専属スタッフとして務めることになった。
その業務は交通費の精算から試合中に使うタオルの洗濯、試合会場での受付まで多岐にわたる。全ては悲願の日本一を達成するために続けてきた。


 この頃から富士通は強豪チームとして社会人決勝の舞台にも何度も上がるが、5度の挑戦は全て跳ね返されてきた。
 4度目の決勝進出となった2011年のジャパンエックスボウル。オービックに一歩及ばず、試合後に号泣するQB出原章洋に対して、「あんたは十分がんばったじゃない。また来年頑張ろう」と言葉をかける伊藤さんの姿が印象的だった。


 夫の敦司さんは伊藤さんについてこう語る。「いつの頃からか、僕の存在が“WRのOB”から“桃代さんの旦那”へと変わっていった。それだけ妻がチームにとって大きな存在になっているのだと思う」
 さらに富士通のOLとして活躍し、以前にチームのGMを務めていた嶋平さんは、「桃代さんはフロンティアーズの生き字引。良いときも悪いときもずっとチームを見守ってきた」と伊藤さんについて話す。


 昔のチームとの違いについて聞くと、伊藤さんはこう答えた。「昔も今も選手たちは全然変わらない。素直に自分の気持ちを表現できない子もいるけど、本当はみんなまじめでいい子たちばかり」  最後に26年間で一番思い出に残っていることを聞こうとすると、途中で遮られた。「そんなことより、選手たちにおめでとうと言ってあげたいからもう終わりでいい?」。そう言い残すと、「フロンティアーズの母」は、夢をかなえてくれた選手たちが待つロッカールームへと駆け出していった。

【写真】初優勝へのカウントダウンを見守る富士通の伊藤桃代マネジャー=撮影:池田埋、15日、東京ドーム