10月19日に横浜スタジアムで行われた、アサヒビール・シルバースターとオール三菱の一戦は、セカンドステージでの上位リーグ進出をかけた、両チームにとって負けられない試合だった。 
 シルバースターの先発QBを任されたのは、今年で40歳になるベテラン東野稔だ。東野が右腕を振り下ろす度に、一回り以上年の離れた若いWRたちが、フィールドで躍動する。   


 日本代表のWR林雄太は東野のパスについてこう語る。「振り向いたらボールが飛んで来ている感じ。独特のタイミングだが、慣れるととてもプレーしやすい」
 最終的に東野はパスを36回投げて28回成功、285ヤードを獲得。勝負どころで3TDパスを決める活躍で、勝利の立役者になった。


 東野は長浜市立西中学校でタッチフットボールを始めると、QBとしてすぐに才能が開花する。大産大付高から立命大へと進み、1994年の大学2年時に、立命大を創部以来初の大学日本一に導いた。
 強肩から繰り出される正確なパスに加えて、思い切りの良いスクランブルランで、自ら走ることもできる。東野は「天才」と呼ぶにふさわしい才能にあふれていた。


 97年にアサヒビールに入社。強豪クラブチームに入り、社会人でも活躍が期待されていた。しかし、度重なるけがが東野を襲う。1年目の秋のリーグ戦で右肩を脱臼。大学4年時に痛めていた古傷を悪化させた。
 利き腕の肩の負傷はQBにとって致命的だ。翌年に復帰したが再び右肩を痛めて、その後は満足に投球すらできなくなってしまった。


 99年、シルバースターは京大出身のQB金岡禧友が攻撃を率いて、日本一を達成。その後、関学大出身の有馬隼人、早大出身の波木健太郎ら学生界のトップQBが次々に加入して、東野の存在感は小さくなっていく。けがのリハビリやレギュラー組のバックアップに徹する中で、試合にはほとんど出場できない時期が続いた。


 この頃、一本のドキュメンタリー番組が制作された。タイトルは「天才と呼ばれた男」。
 かつて「天才」と呼ばれながら、けがに悩まされもがき苦しむ東野に密着したノンフィクションは、当時の様子を象徴的に映し出していた。


 しかし、東野はここから這い上がった。肩の痛みが和らぎだした2010年ごろにレギュラーの座に定着する。Xリーグでアピールすると、11年には36歳で初めて日本代表に選ばれた。
 「Xリーグでのプレーを見て、いいQBを選んだ」。日本代表の森清之監督は、東野を選出した理由について、当時こう語っている。オーストリアで行われた世界選手権では副将を務めて、チームの世界3位という結果に貢献した。


 東野が復活するまでの10年間、シルバースターでは東野より若く、才能のあるQBたちが、けがやさまざまな事情で本来の力を発揮できずにチームを去っていった。
 気になるのは、なぜ彼はこの時期に引退せずに、フットボールを続けることができたのかだ。この疑問に、東野はこう答えた。「一年一年、少しずつ自分がうまくなっていることを実感できた。だから腐らずに続けていれば、また試合で活躍できる日が必ず来ると信じていた」


 その後も、13年には東野の後継者として期待されるQB安藤和馬(日大出)ら有望な若手が入部してきた。東野は若いQBを育てながら、今なお自分の技術を磨き続けている。「自分が培ってきた経験や技術を若手に伝えていきたいと思っているし、彼らの方からもっと積極的に盗んでほしい」と話す。


 既にファーストステージで2敗しているシルバースターには、自力でファイナルステージへ進出する可能性がない。東地区1位の富士通と西地区2位のパナソニックに連勝することが最低条件で、他の試合の結果次第となる。
 しかし、多くの困難を跳ね返してきたベテランは、厳しい状況にも前向きだ。「みんなにはもっと自信を持ってほしい。チーム力の差はあるが、富士通やパナソニックは決して勝てない相手ではない」


 「強いシルバースターを復活させて、勝ちたい」。その言葉は、シルバースターの佐々木康元ヘッドコーチが目指すゴールと合致する。久しぶりにフル出場して少し疲れたという東野は、最後にこう言って笑った。「『まだまだやれる』とは言えないけど、『まだやれる』かな」―。

【写真】円熟味を増すアサヒビールのQB東野=撮影:Yosei Kozano、10月19日、横浜スタジアム