3時間30分を超える熱戦となった、オービック―富士通のパールボウル。延長タイブレークの2回裏、決勝TDを決めたオービックのQB菅原俊の元に、真っ先にかけつけたのはOL山本祐介だった。


 試合後のインタビューで、「菅原君があの状況でよく決めてくれた。感謝したい」と言った山本に対して、「OLがよくふんばってくれた。山本は数少ない同期で、最も信頼する選手の一人」と、菅原はオフェンスラインへの感謝を口にした。お互いに認め合う菅原と山本だが、ここまでの道のりは大きく異なる。


 横浜高時代からショットガンフォーメーションを操るQBだった菅原は、法大に進むとさらに才能が開花する。
 2005年、06年と法大史上初めて甲子園ボウルを連覇すると、08年にオンワード(現ノジマ相模原)に入り、Xリーグ新人賞、オールXリーグに選ばれた。10年にオービックに加入してからは、史上初めて3年連続で日本選手権のMVPを獲得するなど、その活躍がよく知られているアメリカンフットボール界の「エリート」だ。


 一方、菅原がオービックに加入した2010年、山本はもがいていた。北海学園大時代にフットボールを始めた山本は、北海道リーグでは名前の知られた選手だった。オービックが開催した「北海道クリニック」でチームにあこがれを抱き、08年に加入した。
 だが、日本一を目指す社会人チームは甘くなかった。DL、TEなどのポジションを渡り歩いたが、全く活躍することができない。「かわいそうだが、もうカットするしかない」。オービックのコーチ陣の中で結論が出かかっていたと、大野洋OLコーチは振り返る。12年シーズン、最後の望みをかけて挑戦したのがOLだった。


 山本はチャンスをつかんだ。レギュラーの負傷によって巡ってきた出場機会で活躍すると、そこから一気にスターターの座をつかんだ。
 コーチや仲間の信頼も得て順調に成長した山本は、今季オフェンスラインのポジションキャプテンに選ばれた。そして、4月には初めて日本代表に選出されると、海外勢相手にも臆することなくプレーした。まさに「雑草魂」でスターダムにのし上がった。


 「山本が今のポジションをつかむために、どれだけの努力をしてきたかみんな知っている」。そう語る菅原のキャリアは順風満帆に見えるが、彼もまた山本と同じく努力によって壁を跳ね返してきた男だ。
 最も苦しかったのが昨シーズンだろう。試合球の変更により、まともにパスが投げられなくなったのだ。ボールのわずかな変化でも、手が人よりも小さい菅原にとっては死活問題だった。
 「こんなの納得できない」。いつもは紳士的な菅原が、マスコミの前で不満を口にする姿を初めて目にした。秋のリーグ戦が開幕してもパスはひどかった。
 最も楽しみにしていた地元習志野のホームゲームでは、龍村学に先発を譲り出場機会はなかった。それでもプレーオフが始まるころにはしっかり調子を上げて、再びエースQBの座を奪い返した。


 山本に話を聞いていると、「今日は富士通のDLにかなりやられた。いつも外国人の二人(左Tケアラカイ・マイアバ、Cフランク・フェルナンデス)がリーダーシップを発揮してくれる。菅原くんは本当にすごい」と控えめな話しか出てこない。
 しかし、フィールドでは右隣にいる新人の坂口裕と王野志宏を気遣いながら、「頼もしい兄貴」のようにプレーする姿が印象的だった。


 最後に、試合終盤にサックを受けたことに対して、「OLへの信頼が揺らぐことはないか」と菅原に聞くと、オービックのOLには全幅の信頼があると前置きした上でこう付け加えた。「逆ですよ。ぼくがオフェンスラインに信頼される取り組みをして、結果を出さなければならないんです。あれだけのことをやっている彼らのことを裏切れませんから」。王者が勝ち続ける理由は、こんなところにあるのかもしれない。

【写真】タイブレークで決勝TDを決めたQB菅原に真っ先に駆け寄ったOL山本=撮影:Yosei Kozano、23日、東京ドーム