2007年11月19日、東京ドームで行われたXリーグファイナルステージのオービック―鹿島。残り試合時間2分で7点をリードしていた鹿島のキックオフは、リターンTDを警戒したライナー性のキックだった。


 不規則な転がり方をするはずの楕円形のボールは、3回バウンドしながら真っ直ぐにオービックのリターナー清水謙の方向へと転がる。
 ブロッカーと呼吸を合わせてスタートした清水は、一直線にエンドゾーンまで駆け抜けた。静まりかえっていたオービック側のスタンドが揺れた。清水がキャリア通算で記録したリターンTDは20を超える。その中で最も印象に残るリターンだった。


 昨シーズン終了後、清水は19年間のフットボール人生にピリオドを打った。専修大、オービック、日本代表のWRとしての活躍もさることながら、試合の流れを引き寄せるビッグリターンでファンを魅了し続けた「リターナー・清水謙」に話を聞いた。


 ▽打倒法政
 清水は3人兄弟の長男として音楽一家に育った。両親はスポーツが大好きだった少年に決して音楽を強制することはなかった。おかげで小さなころから水泳やテニスなど、さまざまなスポーツに親しむことができた。


 神奈川・鎌倉高校でアメリカンフットボールに出会うと、すぐにその魅力にとりつかれた。RB、リターナーとしてめきめきと頭角を現す。「これだと思った。高校生の時に社会人までプレーを続けることを決めていた」というほどのめりこみ、家に帰っても毎日NFLでお気に入りの選手のビデオを見続けていたという。


 清水はかなり早い段階で進路を決めていた。オプション攻撃を採用していた専修大だ。当時関東の常勝チームで、同じくオプション攻撃を駆使する法政大のセレクションにも合格していたが、それを辞退してあえて受験して専修大に進学した。
 「法政二高に負け続けていたので、大学で法政を倒すことしか頭になかった」と強い決意で入部する。


 ▽悪夢の準決勝
 大学でも法政大と何度か対戦したが、一度も勝つことはできなかった。最終学年、WR、リターナーとしてチームのエースに成長した清水がけん引する専修大は、関東準決勝で法政大と対戦することになった。
 下馬評はQB桑野智行、RB白木周作を中心としたオプション攻撃で爆発的な得点力を誇っていた法政大の有利。専修大に勝機があるとすれば、清水がビッグプレーで得点して守備がしのぐ。このパターンしかなかった。「最高の舞台が整った。7年間の全てをぶつけるつもりだった」


 試合開始のキックオフだった。法政大のキックを清水がリターン。激しいタックルをあびて倒れ込む。鎖骨が折れていた。担架で運ばれた清水は、「まだいける。絶対にやれる」とチームドクターに泣きながら訴えかけたが、この試合にエースが戻ることはなかった。
 「とにかくチームメートに申し訳なかった。自分用のスペシャルプレーも用意してもらっていたので。絶望感しかなかった」。社会人でアメフトを続ける意欲も失った清水は、けがの手術もせずに静かに引退した。


 ▽シーガルズで取り戻した情熱
 2002年、普通の社会人生活を送っていた清水は、友人に誘われて東京ドームで鹿島―リクルートのパールボウル決勝を見に行った。その試合で活躍していたのが、同期でライバル法政出身のRB白木だった。
 熱いものがこみあげてきた。そして、そんな清水の背中を押したのも、白木だった。「シーガルズで一緒にやらないか」。決断するのに時間はかからなかった。


 パールボウル終了後、スポンサーのリクルートが撤退してクラブチームとなったシーガルズは、チームの存続をかけてシーズンを戦うことになる。「練習はめちゃくちゃ厳しかったけど、毎日が充実して楽しかった」。社会人でもWR、リターナーとして活躍した清水は、この年、Xリーグの新人王を受賞した。


 ▽リターナーの葛藤
 フットボールで最もプレッシャーのかかるポジションの一つが、パントリターンにおけるリターナーだ。プレー前は風と相手キッカーの力量を計算してポジショニングする。キックが蹴られた後も、捕るか見送るか、リターンするかフェアキャッチするかをタックラーが迫る中で判断しなければならない。これがなかなか難しい。
 果敢に攻めた結果、ファンブルはチームにとって致命傷になることもある。戦略としてフェアキャッチをさせているチームもある。だが、清水は強くこう主張する。「無理をしないで安全に見送っていれば絶対に失敗はないが、ぎりぎりのボールに対していかにチャレンジできるかがリターナーの価値。リターンにとって一番大切なのは勇気」。清水がフェアキャッチをした場面はほとんど記憶にない。


 ▽緊張と衰え
 専修大の同期で、Xリーグ、日本代表で清水と切磋琢磨してきた富士通のLB鈴木將一郎はこう語る。「やると言ったらやる男。チャラチャラして見えるけど、本当は責任感が強くてまじめなタイプ」
 そんな清水はXリーグでキャリアを積むにつれて緊張するようになったという。「若い時は緊張しなかったのに、自分がやらなければと思えば思うほど試合で緊張するようになった」。この頃から清水はリターンの前に大きく体を動かすようになった。緊張をほぐすためだそうだ。


 衰えも隠せなかった。木下典明、萩山竜馬ら能力の高い後輩WRたちに負けまいと、瞬発系のトレーニングを取り入れるなど試行錯誤した。2007年から3年連続で松下電工(現パナソニック)に負けてどん底を味わったが、そこから4連覇を成し遂げたチームと同様に清水の調子も上向いた。


 ▽新たな旅立ち
 今年の1月3日、オービックがライスボウルで史上初の4連覇を達成した試合後のグラウンドでは、引退を惜しむファンたちと交流する清水の姿があった。
 「オービックにはもう自分がいなくても大丈夫。頼もしい後輩たちがたくさんいるから。シーガルズらしくフットボールを楽しんで、きっと勝ち続けてくれるでしょう」


 今春、清水は長年勤めた会社を退職した。19年間フットボールを中心に生活してきたため、一度リセットするのだそうだ。海外に語学留学して、その後はバックパッカーとして世界中を旅して回るという。
 日本代表としても長年活躍してきた清水は、最後に言い忘れたようにこう言った。「4月12日の日本対ドイツ戦は、チケットを買って試合を見に行きます。仲間の活躍を新しいスタンドから観戦するのがとても楽しみです」。フィールド上では決して見せたことのない、穏やかな表情だった。

【写真】19年間、キックリターナーとして活躍した清水謙=撮影:Yosei Kozano、2012年