10月27日、大阪府の深北緑地公園。台風一過の青空の下、大勢の人がにぎわう中で黙々と練習する彼女たちの姿があった。
 女子アメリカンフットボールチーム「ワイルドキャッツ」。女子のアメフットを見るのは初めてだったが、「男と特に変わらないと思う」という山田義之コーチの言葉通り、違和感は全くなかった。チーム代表の山田千佳さんは、日本の女子アメフット界の発展を信じて長年活動を続けている。


 ▽1986年、初の女子チーム誕生
 欧米では2000年代に入ってから各国女子リーグが創設されたのに比べて、日本の女子アメリカンフットボールの歴史は古い。バブル経済期、銀行を中心に企業が次々にチームを設立する中、1986年に日本初の女子チーム「関西興銀ワイルドキャッツ」は誕生した。
 ワイルドキャッツは一時期、90人近い部員が在籍する大所帯だった。90年に東京に「第一生命レディコング」が設立されると、翌年から女子の頂点を争う「クイーンボウル」が開催されるようになった。


 ▽ラグビー日本代表でW杯経験
 山田さんは大阪体育大を卒業後にラグビーを始めて、日本代表として女子ワールドカップ(W杯=15人制)に2度出場している。アメフットを始めたのも、「働きながら練習時間を確保できる環境がある」という関西興銀からのオファーがあったからだ。
 95年に入社したが、最初はあくまでラグビーのトレーニングの一環だった。しかし、競技を理解するにつれ、少しずつその魅力にはまっていく。活動の軸足を徐々にアメフットに移していき、鈴木弘子さん(現米女子プロリーグのパシフィック・ウォリアーズ所属)が中心選手として活躍していたレディコングとしのぎを削ってきた。


 ▽「クラブ・ワイルドキャッツ」へ
 2000年、不況のあおりを受けて関西興銀のスポンサー撤退が決まると、山田さんは大きな岐路に立たされる。日本の女子アメフットの灯を絶やしたくない、クラブチームとして何とかチームを存続させたいと思う気持ちは強い。しかし、同時にハワイのチームから舞い込んだオファーは、選手として脂の乗っていた山田さんにとって魅力的だった。
 最終的にクラブチームとしての再出発を選択した決め手は、自分を頼って来てくれた若い選手たちだという。「企業のサポートがなくなって大変だったけど、純粋にフットボールが大好きな子たちが集まって、毎日が楽しかった」と当時をふり返る。


 ▽冬の時代
 クラブチームとして活動を再開したワイルドキャッツだが、クイーンボウルがなくなったことで、公式戦の機会は減っていく。アメフットに関心を持って入部しても、試合ができないということがネックになり、去っていった選手も多いという。「冬の時代」だった。
 女子サッカーから転向した7年目のQB高崎敦子さんは、「試合ができない分、練習の中でみんなを楽しませようとする工夫はすごい」と、厳しい状況でもチームを継続させてきた山田さんの努力について語る。


 ▽日本代表チーム結成に向けて
 昨年、長い低迷期を乗り越えて久々に女子アメフット界に明るい話題が出た。今夏にフィンランドで開催された第2回女子アメリカンフットボール世界選手権に向けて、史上初の日本代表チームを作るという動きだ。山田さんも人数集めなどに奔走したが、最終的に安全面での不安などから、大会への出場は見送られた。
 「今後の課題として、海外のチームと対戦しても、日本人がちゃんとプレーできるということを証明していかなければならない」と山田さんは話す。


 ▽女子アメフットの未来
 今年、東京に「BLAZE」、大阪に「ランガルズ」と待望の新チームが誕生し、国内では現在3チームが活動をしている状況だ。次回の世界選手権での日本代表チーム結成を目指すなら、45人以上のメンバーを集めることが最低条件となる。現状、単独チームでの出場は考えにくく、まずは国内の3チームが集結することがスタートラインとなる。
 さらに、将来的にクイーンボウルのような国内の公式戦復活や、リーグ化を目指す上でも、既存のチームが一致団結することは必要不可欠。「目指すところはみんな同じはず。いいライバル関係を築いていくことができれば」と山田さんは言う。
 女子アメフットの普及は、競技全体の発展を考える上でも欠かせない。近い将来、今は小さな女子アメフットのつぼみが「なでしこ」や「さくら」のように花開くことを願いたい。

【写真】山田千佳さん(5)ら女子アメリカンフットボールチーム、ワイルドキャッツの選手たち=10月27日、深北緑地公園