2008年12月、日本選手権を2度制した強豪オンワードが活動停止を発表した。その直後から先頭に立って相模原ライズ結成に尽力し、様々な困難を乗り越えてチームをけん引してきた石井光暢代表(41)に、チーム再建から将来の目標まで語ってもらった。


 ▽チームの解散と独立
 石井さんがチームの解散という屈辱を味わうのは、オンワードが初めてではない。拓大を卒業後、営業として入社したNECでフットボールに打ち込んだ。だが、チームは突然休部となり、4年目のシーズンを迎えることはできなかった。「仲間たちの居場所がなくなるのに、どうすることもできない」。強い憤りを覚えた石井さんは、衝動的に退社する。
 環境関連の事業を営む実家で働き始めたが、会社の方針をめぐって父親と衝突した。1997年に独立して、会社を立ち上げる。「銀行にお金を貸してもらえるようになるまでが、しんどかった」。創業から4年ほどは社員の給料を捻出するために毎日必死だったという。


 ▽須永コーチとの出会い
 会社が大変な状況でも愛するフットボールはずっと続けていた。事業が軌道に乗り出した03年には、トップの舞台に挑戦するためオンワードに入部する。須永恭通コーチ(現ノジマ相模原ヘッドコーチ=HC)との出会いは、石井さんの人生に大きな影響を与えたという。「強烈なプロフェッショナルを感じた。シーズン中は選手と同じ生活をするために、平日も一切休みをとらない。朝の4時から事務所で相手チームの分析をしている」。チームの代表に就任してからは、その取り組みを一番近くで見てきたことで、須永HCへの信頼がさらに深まった。


 ▽相模原ライズの結成
 「若手は移籍すればいい、ベテランはお疲れさま」。08年、再び訪れたチーム解散の危機に、今度は黙っていなかった。石井さんはすぐに再建事務局を設置し、先頭に立って会社やリーグと交渉した。同時に戸惑う選手たちとも面談を繰り返した。「チーム存続を願う4万人以上の署名が集まった。絶対にあきらめないと誓った」。大半のメンバーが残ったチームは、自主運営のクラブチーム、「相模原ライズ」として生まれ変わった。社会人3部リーグからスタートして一歩ずつ階段を上がり、11年に1部リーグに復帰した。


 ▽相模原市との強力タッグ
 石井さんは相模原の駅からクラブハウスに着くまでに、必ずだれかに声をかけられるという。チームを結成してすぐに、商店街へあいさつ回りに行った。町の清掃活動やイベント参加などの地域に密着した地道な活動を継続している。1部復帰を機に株式会社ノジマがチームに協賛したが、これも相模原市出身の社長が市の広報誌でライズの記事を目にしたのがきっかけだった。
 現在はライズが運営するフラッグフットボール教室などのイベントを、相模原市の職員がボランティアで手伝ってくれるという。これらの活動の収益は1千万円を超える。石井さんは経営者の観点からこう語る「NFLのように利益が各チームに分配される仕組みが望ましいが、現状では総合型地域スポーツクラブとして自立するしかない」。スポンサー企業のみに依存しない運営を模索する上で、ライズの取り組みはスポーツ界全体に大きな影響を与えるかもしれない。


 ▽栄光を目指すための引退
 41歳まで現役のRBとしてプレーした石井さんは、ユニフォームを脱ぐ決心をした。「フロント業務に集中した方がチームに貢献できると思った。チームの目標である日本一のために、自分ができることを精いっぱいやりたい」。相模原市の小学生の女の子が名付けた「相模原RISE」の代表として、石井さんは「日はまた昇る」その時まで、全力で走り続ける覚悟だ。

【写真】12年シーズンを最後に現役を引退する相模原ライズの石井代表=写真提供:ノジマ相模原ライズ