ボールを持った瞬間に何かを起こす期待を抱かせてくれる選手はそう多くない。数々のボウルゲームでビッグプレーを連発し、来年1月3日の日本選手権(ライスボウル)でもそのプレーが注目されるオービックのWR木下典明は間違いなくその一人だ。


 ▽5歳で始めたフットボール
 大阪府豊中市で生まれた木下は、5歳の時に池田市の少年アメリカンフットボールチーム「池田ワイルドボアーズ」でフットボールを始める。学校のクラブ活動では陸上やサッカーをしていたが、全てはフットボールのため。他の競技をやりたいと思ったことは一度もないという。兄の影響もあり、小学生の時には大阪・大産大付高で日本一になるという目標を立てていた。


 ▽消えた痛み
 木下は大産大付高で2度、立命大時代に3度全国優勝を経験している。順風満帆に思えるフットボール人生で最大の試練は、高校1年時に突然襲われた慢性的な足首の痛みだった。「とげ骨」が引き起こす激痛は、ひどい時は足を地面に着けることもできず、2年時には本気で引退を考えたという。一学年上のQB高田鉄男(現パナソニック)の卒業で、3年時はQBを任された。すると2年間悩まされた痛みがうそのように消えた。担当医にも全く理由が分からない、不思議な出来事だった。


 ▽欧州での飛躍
 立命大の2年時からNFLへの挑戦を意識するようになった。トライアウトを受けて、卒業後の2005年にNFLヨーロッパへ参戦する。1年目こそレベルの違いに戸惑ったが、スピードや環境に慣れた2年目からは徐々に頭角を現す。06、07年には2年連続でリターナーの最優秀選手に選ばれた。木下は当時を「今のコンディションとは比較にならない最高の状態だった」と振り返る。現在、彼が日本のXリーグでプレーを続ける大きなモチベーションの一つは、この時のレベルのプレーを日本のフットボールファンに見せたいからだという。


 ▽プライド
 07年、アトランタに本拠地を置く本場米国NFLのファルコンズとニューヨークのジャイアンツから声をかけられた。当時、NFLヨーロッパの本部はニューヨークにあり、木下のジャイアンツ入りを強烈に後押しする。「日本人初のNFL選手誕生に向けて全力でサポートするからニューヨークへ来い」。さらに、ニューヨークは日本企業や観光客の数も多く、いわゆる「ジャパンマネー」の力も期待できた。しかし、木下は迷わずアトランタを選んだ。「純粋にフットボールの実力だけで勝負したい」。理由は単純明快だった。「今だったら百パーセント、ジャイアンツに行っている」と木下は笑うが、後悔している様子は全くない。


 ▽本場NFLの壁
 ファルコンズとは、日本人初のルーキー契約を結んだ。注目すべきはNFLヨーロッパの外国人招待枠ではなく、チームから直接スカウトされたという事実だ。しかし、プレシーズンマッチには出場したものの、開幕の登録選手に残ることはできなかった。木下は言う。「13人のWRユニットで、自分が勝てそうな気がしたのは一人か二人。レギュラーの4人は絶対に球を落とさない、別格だった」。身体能力では決してひけをとらなかったそうだが、米国の巨大なピラミッドの頂点でプレーするプロフットボール選手の総合力は桁違いだった。


 ▽日本への恩返し
 日本に戻ってオービックを選んだ理由は、フラッグフットボール教室をはじめとして、ホームタウンの千葉でフットボールの様々な普及活動に取り組んでいるからだそうだ。選手として26年目のシーズンを送るかたわら、母校の大産大付高のコーチも務める生粋のフットボーラーは、日本で自分の経験を伝える道を模索している。

【写真】オービック―富士通 第4クオーター、逆転のタッチダウンを決め、喜ぶオービックのWR木下典=11年JXB、東京ドーム