「こんにちは!」大阪市内にあるアメリカンフットボールクラブ「OSAKAマーヴィーズ」の練習グラウンドに入るなり、子どもたちの元気なあいさつに迎えられた。アメリカンフットボールの防具をつけて、タックルの代わりにタッチをするユースフットボールの競技人口は少ない。関東、関西を中心とした全国の小中学生のチームを合わせても、その数は100に満たない。OSAKAマーヴィーズ監督の小段剛さんは、そんな状況を少しでも改善しようと奮闘している。


 ▽波瀾万丈のフットボール人生
 高校フットボールの強豪、大産大付高で活躍した小段さんは、当時大学フットボール界で全盛を誇っていた日大から勧誘される。周囲は日大への進学を勧めたが、選択した進路は当時関西2部リーグに所属する龍谷大だった。「完成されたチームに行くよりも、自分の力でチームを強くしたいと思った」とふり返る。
 だが、現実は甘くなかった。小段さんが入学した年、龍谷大は1部昇格を目指すどころか3部との入れ替え戦に回る。「強豪校に進学した高校の同期が応援に来てくれたが、低いレベルでプレーしているのが恥ずかしかった」そうだ。退部も考え始めた2年目に、当時の主将からチーム作りを任された。「チームを強くしてほしいと後輩の自分に頭を下げる姿に、胸を打たれた」そうで、練習方法やスカウティングのやり方を一新して、この年チームは創部以来最高の成績を収める。社会人チームには6年間所属したが、けがで満足にプレーできなかった。だが、裏方に回ったこの時期の方が、人間的には成長できたそうだ。


 ▽OSAKAマーヴィーズの創設
 現役を引退した後は、母校の大産大付高に戻ってコーチを務めた。同時に芽生えていったのが、フットボールを普及させたいという思いだ。若年層での競技人口を増やすべく、2008年に小中学生で構成されるフットボールクラブ、OSAKAマーヴィーズを創設した。当初の部員は長男の颯さん(現大産大付高)しかいなかったが、友達を誘ったりチラシをまいたりして、少しずつメンバーを増やしていった。
 マーヴィーズは今年からヘルメットの色を白に変えた。太陽の熱を吸収しづらくするためだ。保護者の送り迎えの都合を考えて練習時間を土曜の夜にするなど、安全面、運営面の気配りを怠らない。「競技は普及してほしいが、このチームは決してアメフト選手の養成所ではない」と話す。毎週更新しているチームのブログを見れば、小段さんがいかにフットボールを通じた子どもたちの成長を願っているかが伝わってくる。
 大阪市内に住む西原義満さんは、自身のプレー経験はないがアメリカンフットボールにずっと関心があり、当時小学1年生だった長男の桜太郎君をチームに入部させたそうだ。「フットボールを始めて息子は本当に成長したと思います。運動能力は決して高くないですが、この4年間で辞めたいと言ったことは一度もありません」。次男の月太郎君も小学生になり、今年から同じチームで汗を流している。小さな体で、お兄ちゃんたちに負けまいと必死に練習する姿が印象的だった。


 ▽ユースフットボールの未来のために
 小段さんは前述のブログ以外にも、フェイスブックなどのSNSを使って、チームの情報発信を続けている。それらを見た全国の人から、ユースフットボールのチームを作ってみたいが、アドバイスしてほしいなどの声が届くそうだ。「情報発信は毎週やると決めたことなので、反響が無くなっても続ける」という一方でこうも言う。「フットボール人口が一人でも増えてほしい。そのためにはチーム作りのノウハウを志のある人たちと共有したい」
 小段さんは関西人特有の豪快なオーラを放ちながらも、常に謙虚で細部まで気配りが行き届く、不思議な人だった。フットボールに限らず、少子化で地域のクラブチームが減少し続ける中、多くの子どもたちと、それを支えるスタッフがこのチームに集まってくる理由が分かったような気がした。(共同通信社 松元竜太郎)

【写真】ジュニアピーウィー(小学校低学年チーム)の小段天響君(左)と吉田一史君=写真提供:OSAKAマーヴィーズ