ディフェンスバック(DB)はアメリカンフットボールの数あるポジションの中でも、最も高い身体能力が求められるポジションだ。身長171センチと小柄ながら、日本選手権(ライスボウル)2連覇中のXリーグ、オービック・シーガルズの中心選手であり、39歳で日本代表選手としてプレーするDB渡辺雄一の素顔に迫った。


 ▽「サル」
 高い身体能力を象徴する渡辺の「サル」という愛称は、日本のフットボール界で知らない人を探す方が難しいほど広く知れ渡っている。1973年に千葉県の流山市で生まれた渡辺は、毎日野山をかけまわる元気な子どもだった。その活発さは、両親が車にはねられると心配して、常に道路脇の側溝を走るように教育するほどだった。水泳、ハンドボール、サッカーなどの部活動に熱中した渡辺は専大に進学して、未経験でフットボールを始める。
 サッカーで培ったキック力を買われて、1年の春からルールも分からない、タックルもできないまま試合に出場した。「キックだけすればいいと言われて出場したが、試合中にランナーが突進してきたので、無我夢中で突っ込んだ」と当時をふり返る渡辺は、サイズはなくても、ハードタックルを武器とする。技術的な工夫もたくさんしているそうだが、米国時代もタックルに恐怖心を抱いたことはないという。2年生になると高い身体能力を発揮してDBとしても頭角を現し、学生の日本代表にも選出されるようになる。


 ▽営業マンからダイブマスターへの転身
 オービックの前身であるリクルートシーガルズへ入団した渡辺は、チームの厳しい練習と社会人レベルのパスに戸惑いながらも、随時試合に出場するようになり、2年目の98年には日本一を経験する。仕事の面でも激務で有名なリクルートの営業マンとして、「とらばーゆ」や「ビーイング」を担当したことが、後に役に立つ。
 2001年まで5年間プレーした渡辺は、ある決断をする。02年に会社を辞めて単身タイに渡り、ダイバーたちを案内するダイブマスターへと転身したのだ。「昔から海が好きで、学生時代に行ったタイが忘れられなかった」とその理由を明かしたが、いくら夢があるとはいえ、凡人にはなかなかまねのできない行動力だ。しかし、半年後には再び日本へ帰ることになる。フットボールへの未練が断ち切れなかったのだ。パールボウル決勝の当日に成田空港から東京ドームへと、バックパックにビーチサンダル姿で駆けつけた。「オービックの選手と言っても信じてもらえず、警備員に止められて大変だった」と振り返る。


 ▽「もっとうまくなりたい」
 「今まで目標にした選手はいない。体が小さい自分に人と同じことはできないから」。この言葉を聞いて鳥肌が立った。なぜなら、日本代表の守備コーチも務めるオービックの大橋誠ヘッドコーチから「渡辺雄一は他の選手と比較することはできない、オンリーワンの存在」という話を聞いていたからだ。
 渡辺は、日々のトレーニングやコンディショニングに至るまで、全ての行動をルーティンワーク化している。多くの人に意見を求めて、全てやってみる。その中から良いもの、自分に合うものだけを抽出して、自分用にカスタマイズしていくそうだ。その作業を20年間続けた集大成が、全く年齢を感じさせない渡辺の脅威のパフォーマンスなのだが、決して現状に満足はしていない。「改善点はまだたくさんある。それらをクリアしていけば、まだまだ自分は成長できる。もっとうまくなりたい」。綿密な理論や考え方を丁寧に説明するその姿は、アスリートというよりは、まるで一つの真理を探求し続ける研究者のようだ。


 ▽引き際の美学
 渡辺は来年で40歳になる。できれば長男の陽大(はると)君が物心つくまでプレーしたいそうだが、大前提としての考えをこう語る。「今は肉体的な衰えを感じないが、競技者として成長できないと思ったら辞める。幸い、チーム内に日本のトップクラスの選手たちがいるので、日々の練習でそれは分かるだろう」。近年のスポーツ界では、ピークを過ぎてもボロボロになるまで現役を続ける選手が増えている。そんな中、理想のプレーを追い求め、最高のパフォーマンスを披露できなくなった時に引退するという彼の美学はすがすがしい。その時がいつ訪れるのかは本人にも分からないが、「小さな巨人」がフィールドを去るのはまだ先のような気がする。


【渡辺雄一(わたなべ・ゆういち)のプロフィル】
1973年千葉県生まれ。93年、専修大学時にフットボールを始める。97年にリクルートシーガルズ(現オービック)に入団。03年~05年まで米アリーナフットボールで活躍し、11年からはオービックのDBコーチを兼任する。07年、11年に2大会連続で世界選手権の日本代表に選出されている。


※写真協力:渡辺雄一

【写真】オービックの最年長39歳で、チームの主力として活躍するDB渡辺=10月7日、川崎球場