4月8日にベースボール・マガジン社から「アメリカンフットボール・マガジン2016SPRING」が発売された。昨年8月の復刊号から3冊目となる雑誌に、今回も写真や記事を寄稿した。


 試合やプレーのリポートがほぼなかった今回の号は、執筆のハードルがいつもにも増して高かった。その中で最も心を砕いた原稿がある。LIXILディアーズのOL抱俊樹選手の追悼文だ。
 抱選手は、昨年12月、病により無情にも25歳4カ月でこの世を去った。私は抱選手が病床にあったことを、亡くなった後に知った。最近、姿が見えないとは思っていたが、負傷で1シーズンくらい長期離脱することも普通にある競技だ。闘病していたとは思いもよらなかった。


 ご遺族の許可を得た上で、LIXILの森清之ヘッドコーチ(HC)に抱選手の闘病について聞き、まとめたのが今回の追悼文である。
 いざ執筆となると心に迷うものがあった。自分が、この役目に適任なのかという根源的な自問である。


 抱選手のプレーは撮影したことがある。鹿島時代からディアーズといえば強力なOL、そこに加わった若く有望な選手という認識を持っていた。
 しかし、親しく言葉を交わしたことはない。ご家族はもちろんのこと、彼ともっと親しくつきあい、笑ったり、悲しんだり、酒を飲んだりした友人やチームメートが多数いるはずだ。多くの人が読む雑誌に、彼について何かを書く資格が自分にあるのかと考えた。しかも掲載は1ページしかない。


 私のモチベーションとなったのは、ある書物の1ページの記憶だ。1978年1月に東京・国立競技場で開催された第3回ジャパンボウルのプログラムだ。
 ジャパンボウルは1970年代の半ばから90年代にかけて日本で開催された、NCAAフットボールの東西対抗オールスター戦だ。


 中学生だった私は、ゲームを観戦し、プログラムを買った。表紙をめくると、扉ページに水が半分入ったコップの写真が載っていた。その下にはこんな文章が書かれていた。
 「ここに一つのコップがある。あなたは『このコップには半分水が入っている』と言うだろうか。それとも『コップは半分空(から)だ』と言うだろうか。私なら『半分水が入っている』という言葉を使いたい。なぜなら、あらゆることに希望を持って積極的でありたいからだ」
 前年の第2回ジャパンボウルに参加し、1カ月後に夭逝した西軍QBジョー・ロスの言葉だった。


 カリフォルニア大バークレー校のエースQBだったロスは、75年の3年時にパス1880ヤード、14TDを記録した、大学フットボール界屈指の好パサーだった。
 チームは8勝3敗でPAC8カンファレンスで優勝し、オフェンスは全米1位だった。ロスのパス獲得距離も全米5位、PAC8では1位だった。


 翌年のハイズマントロフィー有力候補とも言われ、NFLも注目の存在だった。しかし、4年生のシーズン、ロスのパス成績が伸び悩み、チームも負け越してしまう。理由は病気だった。
 ロスの体をメラノーマ(悪性黒色腫、皮膚ガンの一種)が蝕んでいたのだ。以前に手術で取り除いたガンが再発したのだった。


 公式戦終了後に病を告白したロスの周りからは、NFLのスカウトがいなくなったという。ロスは4年生のスター選手に与えられるご褒美のオールスターゲーム、フラボウル(ハワイ)とジャパンボウルに病を押して参加した。


 1月16日、国立競技場のゲームではQBとして出場し、十数回パスを投じた。帰国後、ロスの病状は急速に悪化した。
 そして2月19日、ロスは21歳9カ月でこの世を去った。日本での最後のプレーから30日余りしかたっていなかった。ニュースを聞いて本当に驚いた。


 今回書いたロスの記録は、後からインターネットで調べたものが大半だ。実際の彼については「ネバー・ギブアップ」というキャッチフレーズと、テレビで見たプレーのおぼろげな記憶がすべてだ。
 しかし、第3回ジャパンボウルのプログラムにあった彼の言葉は、39年前の私の心に深く残り、今でもよみがえってくる。


 同じような1ページを作ろうと思った。抱選手のすべてを語らなくてもいい。25年の人生を語ることなどできるわけがない。「フットボール選手・抱俊樹」を記録して、読んだ人が、それぞれの記憶に刻み込んでくれればそれでいい。


 森HCにうかがった話をまとめ、そしてディアーズが抱選手をたたえて創設し、本人が第1回の受賞者となった「KAKAE Award(カカエ アワード)」について書いた。


 「いつどんな状況でも決して弱みを見せず、弱音を吐かない、まさに本物のフットボール選手。最後の最後まで諦めず闘い続けるその姿勢は、永遠に我々の範たるものである」


 彼を端的に表現したこの言葉が見出しとなった。柔和な表情の写真はディアーズのチームフォトグラファーを務める畏友の後藤邦仁さんが提供してくれた。
 繰り返すが、抱選手の人生を語ることはできなかった。ただ、フットボール選手としての彼の本質は伝えられたのではないか。抱選手の父上からは私信でご理解をいただいた。小欄の読者にもぜひ本を手にとって読んでいただきたいと思う。


 ロスの死の翌年からジャパンボウルのMVPに授与されるトロフィーは、「ジョー・ロス・メモリアル」という名が冠された。


 後に、ペイトリオッツやイーグルスで活躍したWRアービン・フライヤー(ネブラスカ大)、インパクトあふれる走りとMLBとの「二刀流」で名を馳せたレイダーズのRBボー・ジャクソン(オーバーン大)、ジャガーズ創設期から大黒柱としてチームを支えたQBマーク・ブルネル(ワシントン大)ら多くの名選手がこのトロフィーを手にした。


 「KAKAE Award」も、今後の受賞者の中から、ディアーズ、そして日本のフットボールを支える名選手を輩出することだろう。そう願ってやまない。

【写真】2014年9月、アサヒビール戦でプレーする抱選手(59番)=撮影:Yosei Kozano