これまでに多く撮影してきたスポーツはアメリカンフットボールで、だいたい500試合を超えたと思う。次が野球で200試合以上。3番目に多いのがラグビーで、150試合ほどは撮影した。
 東京・青山の秩父宮ラグビー場も、最近はご無沙汰しているが、学生時代からよく訪れた場所だ。


 そのラグビーで、日本代表が快挙を成し遂げた。ワールドカップ(W杯)イングランド大会で19日、1次リーグB組の日本代表「ブレイブブロッサムズ」が、初戦で世界ランキング3位、過去W杯2回優勝という南アフリカ「スプリングボクス」と対戦し、34―32で、歴史的な勝利を挙げた。
 深夜の試合だったため、不覚にも寝てしまった私は昼間の再放送を見た。結果が分かっていても感動できる試合はそう多くない。
 最後の10分間、意思を統一して、ミスなく、反則なく、冷静に、世界最強クラスのチームを追い詰めて、プレーを遂行し切った。日本が勝ったという事実以上に、その極上の戦いぶりに背筋が震えた。


 某新聞社がインターネット上で配布した号外に「日本 24年ぶり勝利」という大見出しをつけた。確かに、日本のW杯勝利派は第2回大会(1991年)1次リーグのジンバブエ戦以来24年ぶりで、通算2勝目だ。間違っていない。だが、「見出しどころはそこではないだろう」と思った。


 頭に浮かんだのは「会稽の恥を雪ぐ」という故事成語だった。由来となった中国の春秋時代、呉越の戦いで、越王・勾践が会稽の戦いの屈辱をはらしたのは何年後かを調べた。
 勾践が会稽で敗れ、呉王・夫差に隷従したのが紀元前493年。ついに呉を滅ぼし夫差を自決に追い込んだのが同473年。21年の歳月が、間にあった。「臥薪嘗胆」の嘗胆(苦い肝を舐める)もこの時期の勾践の逸話だ。


 日本代表屈辱の記録的大敗も、20年前だった。1995年に開催されたW杯南アフリカ大会、1次リーグC組最後の試合だ。日本はウェールズ、アイルランドに連敗で既に1次リーグで敗退が決まり、ニュージーランド代表「オールブラックス」と対戦した。
 オールブラックスは連勝で決勝トーナメント進出を決めていたため、「無理に勝ちに来ないのでは」「ある程度、抜いた試合をするだろう」という、希望的観測もあった。しかし結果はまったく反対だった。
 オールブラックスは試合出場に飢餓感がある若手選手中心で臨んだがゆえに、最後まで意欲的にトライを重ねた。最終スコアは145対17。当時の最多失点大会記録となった惨敗だった。


 ニュージーランドに勝ったわけではないが、あの時、世界最強と言われたオールブラックスを決勝で破ったのはスプリングボクスだった。だから、今回が初対戦にも関わらず、南アとは縁が深い。24年ぶりの勝利というよりは、「20年目の雪辱だ」と感じた理由だ。


 私が大学生だったのは1980年代中頃は、日本のラグビー人気が頂点となった時代だった。早大生だったこともあって、アメリカンフットボールよりもラグビーを観戦・撮影する機会の方がはるかに多かった。
 早慶戦、早明戦で国立競技場が6万人の観衆であふれかえり、会場の外にはダフ屋が出た。テレビのスポーツニュースでも、スポーツ新聞でも、派手な扱いだった。しかし、一部の伝統校の人気が突出していただけで、レベルの高い社会人ラグビーの観衆は少なかった。


 1970年代後半から日本選手権を7連覇した新日鉄釜石、80年代後半から同じく7連覇の神戸製鋼。絶対王者が築いたダイナスティー(王朝)に、学生レベルのラグビーはまったく歯が立たなかった。  日本選手権は大差の試合が続き、当時1月15日の成人の日に社会人王者と学生王者が対戦する方式は、終わった。


 日本が南アで大敗を喫したのは、ちょうどその頃だ。この試合をきっかけに国内のラグビー人気は落ち込んでいった。テレビなどで、華やかな脚光を浴びる機会は減っていった。
 代表監督に神戸製鋼のスター選手だった平尾誠二さんを起用し、意欲的な人材の掘り起こし策も試みた。代表の主将に、初めて外国人のアンドルー・マコーミック選手を選んだ。さらにはオールブラックスのスター選手だったジョン・カーワン氏を招聘、ヘッドコーチに起用した。そのいずれもが大きく現状を変えることはなかった。アジアでは敵がなく、W杯には出場し続けたが、勝利は遠かった。


 一方で、2009年に、2019年W杯を日本に招致することに成功した。同じ年、リオデジャネイロ五輪から、7人制ラグビーの五輪競技化という、大きな追い風となる出来事もあった。
 さらに、昨年には、南ア、ニュージーランド、オーストラリアのチームが主体となっている世界最高峰リーグの「スーパーラグビー」へ、日本チームの参戦も決まった。仏様の像はできあがった。後は魂を入れるだけ。そんなときに、この大金星がもたらされたのだ。


 だが、手放しで喜んではいない自分がいる。アメリカンフットボールは、一人取り残された。そう感じるからだ。
 アメフットを愛する者として、ラグビーを勝手に立場の似通った先輩だと、どこかで思い込んでいた。もちろん、認知度も普及の度合いも競技人口も、桁違いだとわかっている。それでも、いまや国民的スポーツとなったサッカーとは違って、勝手に仲間だと思っていた。でも「先輩」はまさしく臥薪嘗胆、屈辱を忘れずに努力を重ね、大輪の花を咲かせる日を迎えたのだ。


 私の勤務先は報道機関だ。だが、私が今夏訪米した理由を知らない同僚の方がはるかに多い。ラグビーの母国イングランドでW杯が行われているように、アメフットの聖地米オハイオ州カントンでも、世界選手権が行われたことなど、悲しくなるくらいに誰も知らない。
 米国人に聞いても、ほとんど名も知られていない選手ばかりで構成された米国代表に、力の差を見せつけられたのはショックだ。しかしもっとショックなのは、そういう試合があったことさえ、ファン以外にはまったく知られていない事実だ。いや、アメフットのファンであっても、NFLのマニアは、ほとんど関心を払っていないのではないか。
 

 日本代表といっても、体制が違い過ぎることは分かっている。ラグビーの代表は、練習日数が年間130日に上るという。アメフット代表は、自主練習も含めて2週間足らず。それも、仕事の合間の土日に限られていた。
 ヘッドコーチをはじめとするコーチ陣も、アメフットには専従者がいない。Xリーグ各チームのコーチが、やりくりをしながら指導してきた。そもそも、アメフットでは日本代表は常設ではない。まったく活動のない年も多いのだ。


 ラグビー代表のフィジカルの強さも目に付いた。コンタクトプレーで圧倒されない。ラインアウトやスクラムでもマイボールはきっちり確保できる強さがある。そんなことを話したら、ある人から「日本人初のNFL選手は、ラグビーから出るのではないか」といわれた。
 NFLでは今季オーストラリアのプロラグビーから、サンフランシスコ49ersに入団し、厳しい生存競争に勝って開幕ロースターに残ったRBジャリッド・ヘインがいる。ありえない話ではない。そんなことになったら、日本のアメフット界は、なにを思うのだろうか。


 23日。ラグビー日本代表は第2戦でスコットランドと対戦し、10-45で大敗した。この試合をアメフットに例えると、こんな感じになる。


 前半、日本は前の試合から引き続き堅守を見せ、相手の得点はフィールドゴール(FG)4本。日本はタッチダウン(TD)1本で7―12。しかし、第2クオーターの最後にゴールラインを背負いながらディフェンスがTDを許さなかった。
 反則が多いのは気になったが、モメンタムは手放していなかった。後半に入って、第3クオーター途中まで互角の展開が続く。日本はこの時間帯、相手のミスなどで2度にわたりレッドゾーンオフェンスの機会を得ながら無得点に終わった。ここで1本取っていたら。「タラレバ」が出た試合は負けにつながる。連戦の疲れからか、タックルが甘くなった日本は2TDを許す。


 第4クオーター開始時、得点は10―24。2ポゼッションの差は大きかったが、オフェンスは機能していたし、焦る時間帯ではなかった。再びレッドゾーンに攻め込みながら、焦りを見透かされてパスをインターセプトされた。95ヤードのリターンTD、ゲームは事実上ここで決着した。
 ディフェンス的に言えば、狙ったプレーではないか。1本差ならそうはいかないけれど、2本ある。2ポゼッションゲームは、相手のディフェンスにそういう余裕も生まれる。


 ここまで書いて思うのは、ラグビーの代表はいまや世界と同じ土俵の上で戦えるまでにきた。その上で、駆け引き、戦術、ミスなどが組み合わさって大差になる試合もあるということだ。
 アメフットはどうだろう。再び中国の故事を引用すれば、頭に浮かぶのは呉の名将・伍子胥の「日暮れて道遠し」だ。


 繰言で終わるのは嫌なので、前向きな提言をしたい。今回、日本テレビが担当しているテレビ中継で、反則について、画面のタテ位置にテロップが入り解説してくれる。非常にわかりやすく、実況も反則の解説に時間をそれほど割かなくて済む。国内のアメフットの中継でも同じことができないだろうか。ぜひ検討していただきたい。

【写真】7月に開催された世界選手権。米国の地で戦い続けた日本代表=撮影:Yosei Kozano