冒頭から私事で恐縮だが、今日、7月23日は亡父の命日だ。生きていれば今年90歳になる父は野球が好きだった。
 少年時代の私が、ほぼ2年おきに来日する大リーグのチームと日本のプロ野球チームの試合を見ていると、「今まで見た中で一番強かったアメリカのチームは、サンフランシスコ・シールズだった」と語るのが常だった


 サンフランシスコ・シールズは1949年、第2次大戦後初めて来日した米国のプロ野球チームだ。メジャーリーグではなくマイナーリーグの3Aに所属していた。
 日本側は、巨人や全日本、東京六大学選抜などが、エキシビションも含め7試合対戦したが全敗した。


 全日本は、このシーズン129打点の「赤バット」川上哲治(巨人)、39本塁打の別当薫、46本塁打の「物干し竿」藤村冨美男(ともに阪神)、「和製ディマジオ」小鶴誠(大映)らスラッガーをそろえ、投手陣でも別所毅彦、スライダーの元祖・藤本英雄(巨人)、ビクトル・スタルヒン(大映)ら当時の日本球界のスターが名を連ねる最強チームだったが、手も足も出なかった。


 日本の野球ファンは、無名選手ばかりのマイナーリーグの3A単独チームに、ベストメンバーの全日本が歯が立たなかったことに強い衝撃を受け、「アメリカの野球はどれだけ強いのだろう」と、この記憶を語り継いだ。私の父もその一人だった。


 今回のアメリカンフットボール世界選手権も、どこかシールズの話と似ていると思う。現地18日、オハイオ州カントンの「プロフットボール栄誉の殿堂」に隣接したトム・ベンソン・スタジアムで繰り広げられた決勝の「日米決戦」は、12―59で日本が敗れた。ぐうの音の出ないほどの完敗だった。


 今回の米国代表は、これまでこの大会に出てきた代表とは一線を画す強いチームだったとはいえ、選手はNCAAフットボールの選手層の中ではトップ級とは言い難く、中心選手が、NFLのチームにルーキーFA契約されるかどうかというレベル。言ってしまえば、カレッジの2軍半くらいの選手たちだと思う。
 ヘッドコーチのダン・ホーキンスも、かつてボイジー州立大を強豪に仕立て上げたたたき上げの実力派とはいえ、このクラスの指導者はNCAAには数十人いる。


 そしてプロのNFLはカレッジとはけた違いの実力を持つ。日本代表の森清之ヘッドコーチ(HC)の「これがアメリカのベストのチームかといえば全然そんなことはない。そういうレベルの米国代表に、このスコアで負けるというのが、今の日本の実力だ」という試合後のコメントの通りなのだ。


 日本のアメフットファンは、700校に及ぶと言われるNCAAフットボールの選手とコーチの分厚い層を理解していない人が多いようだ。
 「日本丸」は海上にに突き出たNFLという氷山の威容に目を取られたまま、水中の巨大な氷の塊に船体を砕かれて、あっけなく海中に没したように感じた。日米の力の差に驚いているファンも多いようだったが、個人的には、それを理解しないままアメフットを見ていた日本のファンの方が驚きだった。


 森HCが語ったように、試合の中で「ここをこうすればよかった」という内容ではなく、試合のターニングポイント自体がなかったと思う。それでも私が撮影していて強く印象に残った、というよりは「やられた」と感じたタッチダウンが二つある。


 一つは第1クオーター11分に米国が奪ったこの試合2本目のTDだ。米国はノーハドルのハリーアップオフェンスを展開し、日本のエンドゾーン前に迫った。セカンドダウン残り4ヤード、米国はランをコールしたが、日本はDT清家拓也(オービック)が好タックルでゲインをゼロに止める。
 サードダウン残り4ヤードで、米国は当然パスを選択し、QBケビン・バークがファーストダウンを奪う。ゴールまで残り2ヤードほどだったか。次のプレー、米国は、日本のディフェンスがセットする間を与えずQBのバークがノーコールで突っ込んだのだ。2ポイントコンバージョンも決まって、0―16となった。


 この試合、日本はDLを頻繁に入れ替えていた。12日の対戦では、DLの疲労度が尋常ではなくランを止められなかったからだ。
 140キロの清家は、セカンドダウンのタックルの後いったんサイドラインに下がっていた。ゴール前シチュエーションとなり再びフィールドに戻ろうとしたが、米国はそれより早くスタートを切っていた。


 試合の中継映像で確認すると、審判がボールをセットして、時計が動き出してからわずか4秒後にプレーが始まっていた。清家はセットすることもできず、棒立ちでタックルしたが横に押しやられた。日本側の選手交代につけ込んだ見事な作戦だった。


 米カレッジフットボールでは、サードダウン残り1ヤードや、フォースダウンギャンブルで、ノーハドルのクイックスタートをしばしば目にする。ディフェンスは対応できずに、ファーストダウンを奪われる。特別なプレーではなく、オレゴン大学に代表されるハリーアップオフェンスでは常套手段のひとつだ。


 もう一つのシーンは、第2クオーター6分。QB高田鉄男(パナソニック)がファンブルし、拾い上げた米国がTDを決めたプレーだ。
 1回前のドライブから登場した高田に対して、米国は様子見なのか、基本的にラッシュは3人のDLだけだった。一度だけ5人のラッシュを仕掛けたが、高田がうまく対応し、裏に走り込んだRB高木稜(IBM)にパスを通してファーストダウンを奪った。さらにパスで9ヤードを奪った後に迎えたサードダウン1ヤードを迎えた。


 QBの斜め後方から撮影していた私は、米国ディフェンスがスクリメージラインにDBを上げて、パスラッシュの人数を増やしているのに気が付いた。「まずい」と思った瞬間、プレーは始まった。
 米国ディフェンスが激しいラッシュ、日本のOLは決壊した。高田は正面から入ったDLジャック・シャーロックに背中からヒットされた。


 193センチ、113キロで、祖父はノートルダム大、父はパデュー大でプレーしたフットボール一家の3代目の一撃は強烈で、ボールが宙に飛んだ。次の瞬間、米国のDBオグルボードがボールを奪い、無人のフィールドをエンドゾーンめがけて走っていた。
 トライフォーポイントで、米国はこの試合で初めてキックを選んだ。0―31。米国が勝利を確信したTDではなかったか。


 ビデオで確認すると、米国は6人でラッシュし、高田はタイミングが合わなかったのか、右サイドのレシーバーにいったん投げかけて止めていた。サードダウンだから投げ捨てることもできなかった。米国ディフェンスは、のべつ幕なしにプレッシャーを掛けるのではなく、ドライブの中で勝負所を見極めて、ラッシュをかけた。前回は5人でも高田にしのがれたので、DBも加えて6人でラッシュした。


 二つのTDともに、力任せに奪ったように見えるがそうではない。プレーを読んで緻密に仕掛けてきた。日本のフットボールをへし折りにきて、そしてその通りに日本は折られた。フィジカルもテクニックも戦術も、すべての面で負けた試合の象徴だったように思う。


 日本代表を酷評しているようだが、それは違う。たとえどのレベルの選手であっても、アメリカの地で、アメリカの代表と、アメリカの国技で「本気のどつき合い」をした45人の男たちと、10人のコーチ、そして彼らを支えたスタッフがいた。その事実は残る。
 この道は、どこかで通らなければならなかった。12日の敗戦も含めて、胸を張ってほしい。


 今、日本には二つの道があると思う。「米に挑む」という無謀に見える道をあきらめて、米国人選手の流入も止めて、日本国内で独自のフットボールを続けるか。それともはるか遠くを行く米の背を目指して、修羅の道を歩み続けるか。


 シールズに負けた日本の野球は、歩みを止めずに進化し、野茂英雄さん、松井秀喜さん、イチロー選手をはじめ、多くのスターが野球の本家MLBで、米国選手相手に真っ向勝負できるようになった。
 野球にできてアメフットにできないことはないと考えている。その具体的なとっかかりは何か。いずれ書き記したい。

【写真】DL紀平も負傷退場。防戦一方の展開に表情がこわばる森HC=撮影:Yosei Kozano