米オハイオ州カントンで開催中のアメリカンフットボール世界選手権。私は、仕事の合間を縫うように休暇を取って観戦の日程を組み、7月11日の夜に現地入りした。


 翌早朝、睡眠時間は短かったが、会場への経路や、メディア用駐車場の位置確認のため、「プロフットボール栄誉の殿堂」ホール・オブ・フェイムへ下見に出かけた。
 道は分かりやすく、宿舎にしているホテルから10分足らずで到着した。駐車場からホール・オブ・フェイムの建物の向こうに、試合会場となるトム・ベンソン記念スタジアムが見え、そこには今年殿堂入りが決まった選手、関係者の写真が飾られている。


 「バス」の愛称で人気だった大型パワー派RBジェローム・ベティス(元スティーラーズ)、リターンも含めた「万能の記録男」スピード派WRティム・ブラウン(元レイダーズなど)、エネルギッシュなハードタックルでオールプロ選出10回、3年前に非業の死を遂げたLBジュニア・セアウ(元チャージャーズ)らの肖像だ。
 根っからのNFLファンでもある私は、下見を忘れて興奮、車を無人の駐車場に止めると、スタジアムの下まで歩を進めた。


 そこで別の感激があった。遠くからではわからなかったが、名選手たちの肖像が飾られた上の部分には、今回の世界大会に参加した各国の国旗が掲げられていた。
 日本の日章旗も、ちょうどジュニア・セアウの笑顔の上あたりでたなびいていた。なぜか目頭が熱くなった。日本のフットボールがアメリカと「つながっている」と実感できたからだ。


 私が、アメリカンフットボールを見始めたのは1970年代中ごろだ。今のようにインターネットや、ケーブルテレビ、衛星放送などなく、深夜や休日の夕方などに細切れで放送されるゲーム中継と『タッチダウン』『アメリカンフットボールマガジン』の専門月刊誌2誌で見る月遅れの情報が、普通に得られるアメフット情報のすべてだった。


 そんな状況でも、日本国内でアメリカンフットボールへの人気は高かった。本場のチームが来日し、日本で初めてのNFLプレシーズン戦、「毎日スターボウル」などの試合が開催された。
 一番興奮したのは、全米大学体育協会(NCAA)公認の東西学生オールスターゲーム「ジャパンボウル」だった。当時はNFLにはアーリーエントリー制度はなく、この試合には次シーズンNFL各球団に入団する大学4年生のスター候補生がぞろぞろと来日した。


 1977年の第2回大会には、バッカニアーズから全体1位指名のリッキー・ベル(USC)、カウボーイズから指名されたトニー・ドーセット(ピッツバーグ大)という2大スターRBがそろって来日した。
 ドーセットは、ランで6082ヤードというNCAA記録を樹立して全米最優秀選手賞のハイズマントロフィーに輝いた天才。そのドーセットを差し置いて1位指名されたベルは、大学3、4年の2年間で3390ヤード27TDを挙げた重戦車。国立競技場は満員となった。


 ベルは新設球団のバッカニアーズで苦戦し、1000ヤード超えは1シーズン。30歳を前にして病により早逝した。
 ドーセットは、このジャパンボウルのちょうど1年後(正確には364日後)、カウボーイズのエースRBとしてスーパーボウルに先発出場、チームはブロンコスを破ってNFL王者に輝いた。
 国立競技場でプレーしていた選手が1年後にはスーパーボウルに出場して活躍する。道はつながっているように見えた。


 アメリカ人のスター選手だけではなかった。初期のジャパンボウルには、日本の各大学から選ばれた4年生選手数人が加わって試合に登場した。
 ドーセット、ベルが来日した第2回大会では日本体育大学の山本勉さんが、西軍のRBとして登場、13ヤードを走って1発でファーストダウンを奪った。中学生の私はテレビの前で思わず拍手をした。いつの日かきっと日本人のNFL選手が誕生するだろうと思っていた。


 80年代に入ってからも、「ミラージュボウル」「コカ・コーラボウル」と名前を変えたNCAAの公式戦が毎年晩秋に日本で開催された。
 超人的な走りで人気を博したRBバリー・サンダース(オクラホマ州立大、後にNFLライオンズ)は、ハイズマントロフィー受賞が決まったその日に、東京ドームで開催された「コカ・コーラボウル」に出場し、1試合300ヤードを超えるランを記録、栄冠に自らの手で花を添えた。


 1989年からはNFLのプレシーズン戦「アメリカンボウル」も始まった。インターネットはなく、テレビ中継も衛星放送は始まったとはいえ限定的。でも日本のファンは幸せだった。


 とはいえ、現実に競技面では日本とアメリカの差は途方もない大きさで、それに気づくことさえ難しいくらいに隔絶していた。社会人まで含めた日本のフル代表は結成されたことがなく、1989年には、日本学生選抜がNCAADiv.1AA(現FCS)の強豪ウィリアム&メアリ大に73対3と、鎧袖一触で大敗した。 その後学生選抜は毎年、米アイビーリーグ選抜チームと対戦するが、常に大差で完敗。日本と米国との格差を見せつけられた。


 唯一、希望をつなげたのは、日大の篠竹幹夫監督が「侍フットボールでアメリカを倒す」をスローガンに、現役学生に社会人で活躍するOB選手も加えた「オール日大」でウィリアム&メアリ大と対戦したエプソンアイビーボウルだった。
 最終スコアは19対35。更新したファーストダウン数は29対17とオール日大が上回った。


 20年以上たった今回の世界選手権、12日のグループ戦では日本は米国に18―43で敗れた。とはいえ、日本のフル代表が米国の地で米のナショナルチームと試合をしたのは画期的なことだ。


 試合の内容については詳述しない。フットボールは結果がすべてだ。しかし、随所で良いプレーがあったのは確かで、取材していた米国人カメラマンからも、日本の実力を認める声を聞いた。
 通用したプレーや局面には共通点がある。日本のXリーグで、優れた米国人選手と対戦し続けたポジションの選手が結果を残したことだ。


 2インターセプトのDB藤本将司(オービック)は、QBケビン・クラフト(IBM)やコービー・キャメロン(富士通)との対戦を重ねてきた。
 パスを決め続けたQB加藤翔平(LIXIL)のクイックリリースは、ケビン・ジャクソン、バイロン・ビーティー・ジュニア(ともにオービック)、ジェームズ・ブルックス(IBM)ら、強力な米国人パスラッシャーとの対戦で磨かれたものだ。


 一方で、日本人にある程度の水準の選手がそろうRBは、米国人選手へのニーズが少なく、フルに活躍しているRBはジーノ・ゴードン(富士通)くらいしかいない。RBへの対応が後手となるのは当然の結果なのかもしれない。


 現地7月15日、準決勝で日本はメキシコと対戦する。過去の世界選手権で好ゲームを繰り広げてきた好敵手だ。
 今回はOLのサイズは米国並みで、規律も取れた強いチームに仕上がっている。決勝で再び米国と相まみえるのか、2大会連続で3位決定戦に回るのか。


 オール日大対ウィリアム&メアリ大の一戦を特集した当時のテレビ番組を、出発前にあらためて見た。
 記者会見で篠竹監督は、12月上旬から年末年始も不休で連日の猛練習を続けたオール日大を「今の日本で一番強いチームだ」と言い切った。
 その言葉通り、お家芸のショットガンから次々にパスが決まり、互角以上の戦いを演じた。序盤のオフェンスのミスと2Qにディフェンスの集中力が切れた部分が勝負の分岐点になった。


 9―28とリードされたハーフタイム、篠竹監督が選手たちにげきを飛ばす。「日本のフットボールの明日がかかっているんだよ」。その言葉が、今も天から聞こえてくる気がする。

【写真】「聖地」カントンに日の丸がひるがえった=撮影:Yosei Kozano