この時期になると、ある人の去就が気になる。「今シーズンはどうするのだろうか」。といっても選手ではない。フットボール写真家・ジャーナリストのタック牧田さんのことだ。
 1960年代の初めからアメリカでプロフットボールを取材し続ける大ベテランだ。そんな牧田さんからのメールが先日届いた。「53年目のNFLシーズンを待っています」

 牧田さんの年齢は書けない。以前に一度書いて大目玉を食らった。ただ、アメリカで仕事をする人たちからは「日本の人は、なぜそんなに年齢を気にするのか」と言われることがよくある。何歳だろうとやれるのだからいいではないかということだろう。
 私(50歳)の親にあたる世代で、この「週刊TURNOVER」でコラムを書かれている丹生恭治さんより年長とだけ書いておく。現役選手は孫のようなものだ。


 牧田さんは米ワシントン州シアトルの生まれ。両親は日本人で、太平洋戦争が始まる前に日本に帰国しその後神戸で暮らした。身長162センチと小柄ながら、関西学院大時代にはアメリカンフットボール部でRBとして活躍し、甲子園ボウル2連覇にも貢献した。
 1961年に留学生として再渡米し、ニューヨークで生活を始めた。当時のアメリカの日系人社会は、太平洋戦争中に日本に一時的に帰った一世や二世を「Key Bay Then」(キーベイゼン、その時帰米していたという意味)と呼んで、一種の裏切り者的な存在として扱ったそうだ。


 牧田さんもことあるごとにつらい思いをしたという。そんな中で牧田さんはフットボール写真に出会う。1950年代に主流だった、セットしてポーズした選手の写真が、試合中の実際のプレーを写すものへと変わる時代だった。
 1963年にはニューヨーク・ジェッツの球団カメラマンとして契約し、サイドラインから撮影を始める。食事を1日1度にして、高額な超望遠レンズを購入したという。

 1967年1月から始まったスーパーボウルを牧田さんは第1回から撮影し続けてきた。その時から今も現場で撮影を続けるカメラマンは全米で4人しかいないという。
 彼らとスーパーボウルで会うたびに「また生き延びたな」と言い合うのが楽しみだと牧田さんは笑う。ニューヨークで開催された今年2月の第48回スーパーボウルでは、第1回からすべて取材した4人と共にレジェンドとしてフィールドパス(グラウンドレベルで撮影できる取材者証)が授与された。
 スーパーボウルは出場チーム関係が優先のため、地元ニューヨークのメディアでフィールドパスが出たのは他にニューヨークタイムズだけだったそうだ。


 牧田さんにとって、スーパーボウルの中で今でも忘れられない試合が第3回大会のボルティモア・コルツ対ニューヨーク・ジェッツ戦だ。
 当時、ジェッツが所属していたAFL(アメリカン・フットボール・リーグ)は、老舗のNFLに対抗して1960年に結成された新興リーグだった。
 第1回、第2回大会は、まだスーパーボウルという名称は用いられず、NFL―AFL王座決定戦として行われていたが、AFLはNFLよりも格下の扱いだった。


 NFLの関係者やフアンは「AFLはマイナーリーグ」「対等の王座決定戦などおこがましい」と、公然と見下していた。実際、AFLの代表は第1回チーフス、第2回でレイダースが、NFLの王者グリーンベイ・パッカーズに惨敗していた。
 第3回大会も、試合前、全米のマスメディアは圧倒的にコルツの有利を予想。そんな中、ジェッツのQBジョー・ネイマスが記者会見で「日曜日にはジェッツが勝つ。私が保証する」と宣言する。有名な「ギャランティー発言」だった。


 ネイマスの冷静な指揮のもと、ジェッツはコルツに競り勝ちAFLに初勝利をもたらした。アメリカのスポーツ史上屈指の大番狂わせとなった。
 勝利の瞬間、AFLのラマー・ハント会長とジェッツのウィーブ・ユーバンク監督は、サイドラインで狂喜した。ユーバンク監督は興奮のあまり、牧田さんにまで抱きついて男泣きしたそうだ。


 この試合が転機となり、スーパーボウルは真の王者を決める戦いとして注目度がアップした。余波として、牧田さんは第4回、第5回スーパーボウルは取材できなかった。全米から取材申請が殺到したために取材枠が足りなくなってしまったからだ。「これはアメリカのスポーツであって日本で報道してもらう必要はない」という理由だろうという。


 「老兵は死なず」。日本を占領した連合国軍の最高司令官、ダグラス・マッカーサーの有名な言葉を牧田さんは好んで使う。今季もNFLの公認フォトグラファーの資格で年間20数試合を取材する。「うめく選手、飛び交う怒号、激突するヘルメットとプロテクター。それをサイドラインから見聞きしないといられない性分です。私はもう何年もフットボールを観客席から見たことがないのです」と笑う。


 使用機材はニコンD4とD700、200―400mmズームと70―200mmズーム、1.4倍のテレコンバーターだ。その他一脚なども加えれば10キロ近い装備で牧田さんはサイドラインを動き回る。
 ナイトゲームを絞りf8、シャッター速度1/1000秒で写せる時代が来るとは予想もできなかったという牧田さんは「この年になって進歩するのがうれしくて、毎週やるつもりです。何とか体力はあるようです」と意気込みを語る。


 牧田さんの願いの一つは、日本人NFL選手の誕生だ。「プロ野球に比べ、フットボールはまだまだ日米の差があまりに大きい」と語る。
 「日本のフットボール界のなかでは進歩していると見ます。あたりまえのことです。ですが、アメリカのフットボールもNFLのフットボールも年々進歩しています。格差はむしろ広がっていると思います」と牧田さんは指摘する。


 過去にNFLのトライアウトを受けた選手のインタビューで、「手の届かないレベルではない」などと書くメディアにも、売るために「よいしょ根性」の思惑があると手厳しく批判する。「メディアとして、日本のフットボールとアメリカのフットボールを見て、その差が分からないのかと苛立ちますね。見たら分かることではないですか」


 体格、体力の差、技術の差、競技人口の差など、彼我の差はいくらでもあるが、牧田さんは「競合による進歩」と「組織の調和」の乖離が大きいとみている。「現在のところ,日本のフットボールは学校にせよ、クラブティームにせよ、同好者が集まる宿命ですね。『和をもって尊しとする』ということになる」


 かなり以前に、Xリーグのある米国人DBから「われわれディフェンスが頑張ってボールをとり、オフェンスと交替した。ところがイージーパスをミスしたので、思わずベンチから怒鳴ったら、ディフェンスの仲間に取り囲まれて『ドンマイ、ドンマイ。ティームワークだ』と言われた」という話を聞かされたそうだ。牧田さんは「和の定義が違うのでしょう」と語る。


 原点は「競合による進歩」。各ポジションごとに、そしてディフェンスとオフェンスと、練習時には敵であるはずだという。「全員が総力を出し切って、その後に来るものがティームワークなのではないですか」

 私も先日、ひいきのピッツバーグ・スティーラーズのキャンプに関する現地記事を読んでいて1本目のLTと、2本目のOLBが、練習中に乱闘したという話を目にした。キャンプ中2回目のけんかだという。
 目くじらを立てる前に、NFLの激しい生存競争を認識すべきなのだろう。1カ月余のキャンプとプレシーズンゲームを通じて、たとえドラフト指名選手であっても、不要と判断されればカットされ、キャンプイン時のほぼ半数に絞り込まれる。「組織と調和」はその後だ。


 牧田さんの、そしてファンや関係者の「日本人NFLプレーヤーを」という願いがかなう日は来るのだろうか。

【写真】昨季のスーパーボウルにつめかける報道陣