仕事場の机を整理していたところ、十数年前に取材した写真や記事を掲載した雑誌や新聞が出てきた。NFLの日本法人「NFLジャパン」が主催していたチアリーダーオーディションや、以前日本で開催されていたプレシーズンマッチ「アメリカンボウル」に登場した日本人チアリーダーのものだ。
 草分け的な存在の三田智子さん(元ダラス・カウボーイズ)、安田愛さん(元サンフランシスコ・49ers)、柳下容子さん(元サンディエゴ・チャージャース)、中山麻紀子さん(元ワシントン・レッドスキンズ)、小島智子さん(元タンパベイ・バッカニアーズ)らの美しい笑顔があふれている。


 それまでアメリカンフットボールの試合に行っても、ほとんどチアリーダーを撮影することはなかった私が、ハーフタイムショーやサイドラインの応援も真面目に撮影するようになったのは、彼女たちのNFLへの進出がきっかけだった。
 彼女たちの多くは社会人アメフット「Xリーグ」のチア出身だったが、私が撮影した中に、Xリーグ時代の写真がほとんどなかったからだ。


 NFLチアリーダーやNBAダンサーとして、本場での活躍を夢見る女性たちの挑戦は今もなお続いている。きらびやかで美しい世界に目を奪われがちだが、彼女たちの努力や労苦は並大抵ではない。
 ダンスやフィジカルのトレーニングの厳しさは当然としても、以外と知られていなかったのは、経済的な困難さだ。


 今年1月にオークランド・レイダーズのチア「レイダーレッツ」の一人が、待遇改善を求めて提訴。この動きにニューヨーク・ジェッツやシンシナティ・ベンガルズなど複数チームのチアが続いていると聞く。
 レイダーズの場合、手当てが1試合当たり125ドルで、プレシーズン戦も含めたホームゲーム10試合分で1250ドルが年間の報酬ということだ。2000年代初頭に、私が複数の日本人チアから聞いた「1試合当たり100ドル程度」という手当の相場と、それほど変わらない。
 日本なら、大学生の1カ月のアルバイト代で年間分を上回ってしまう額だ。それでも、米国人の場合は住宅や車などは元々あるのに対し、渡米して活動する日本人チアは、これら生活に必要なものを自力で準備しなければならない。勤めを辞め、貯金を切り崩し、それでも夢に挑んできた。


 最近は、プロ野球やバスケットボールのJBL、bjリーグに専属チアチームが増えたが、今季もNFLの日本人チアは森下昌子さん(ワシントン・レッドスキンズ)や保坂典子さん(レイダーズ)、大石理絵さん(アトランタ・ファルコンズ)、海東奈月さん(ヒューストン・テキサンズ)のようにXリーグのチア出身者が依然として多い。社会人アメフットはフットボールだけでなく、チアのレベルも誇っていい。


 1990年代から2000年代にかけては、NFLヨーロッパ(NFLE)やアメリカンボウルなどを舞台に、日本のトップ選手たちが挑戦を続けた時代でもあった。池之上貴裕さん、安部奈知さん、河口正史さん、板井征人さん、山田晋三さん、里見恒平さんら多くの選手が、日本人初のNFLプレーヤーを目指した。
 「週刊TURNOVER」でコラムを連載している「チームメート」の中村多聞さんは、日本人離れした走りのRBとしてNFLEのライン・ファイアーで活躍、グリーンベイ・パッカーズのキャンプにも参加した。「ベティ」こと鈴木弘子さんは今も女子プロフットボーラーとして活躍しているのはご存知の通りだ。


 そんなことを考えながらこのコラムを書いている今週、U―19の世界選手権で、日本の若者たちが米国に43―0で圧倒されたというニュースが中東のクウェートから届いた。年代こそ違え、日本代表が米国代表と試合をするのは2007年7月に川崎で開催されたワールドカップ(現世界選手権)以来だという。
 この時の米国代表は、エースQBがプライベートな理由で途中帰国するなど、アメリカのナショナルチームを名乗る資格があったのか今でも疑問に思う。それに比べれば、今回のアメリカ代表は、スタッツを見ただけでも取組みが格段に違うことが感じられる。惨敗とはいえ「本気のアメリカ」と戦った清々しさがある。
 U―19日本代表のアシスタント・ヘッドコーチとして参加した、オービック・シーガルズの大橋誠ヘッドコーチも、何かをつかんだのではないか。


 アメリカに挑む。それは日本でアメフットに携わる者の宿命に違いない。次回からは、米国を舞台にフィールドの内外で奮闘した日本人のストーリーを記していきたい。

【写真】2000年のアメリカンボウルで、米国国歌を斉唱する三田智子さん=撮影:Yosei Kozano