アメリカンフットボールから離れるが、この2カ月ほどの間、世の中のトピックとなっていたのは、「佐村河内守氏問題」「小保方晴子氏とSTAP細胞問題」だった。
 「偽作」「捏造」が焦点となった二つの問題の真相にたどり着くのには、まだ曲折がありそうだし、ここでは触れない。二つのトピックに共通するのは、作曲や論文以上に、それを生み出した2人の個性にスポットライトが当たっていたことだ。


 佐村河内さんは「難聴の作曲家」「現代のベートーベン」、小保方さんは「割烹着」「リケジョの星」といった、わかりやすいキャッチフレーズが付いてまわり、世の寵児となった。
 新聞報道の用語で言えば、その人が何をしたのかを書く「本記」ではなく、人となりや生い立ち、暮らしぶりなどを紹介することで読者に関心を持ってもらう「受け記事」の方に関心が集まった。


 クラシック楽曲の作曲、再生医学研究というジャンルは、程度の差こそあれ門外漢には敷居が高いことは共通している。だからだろうか、「わかりやすさ」「親しみやすさ」「手に取りやすい感動」に、われわれメディアも含めて、飛びついてしまった苦い後味がある。
 芸術的な創作やアカデミックな研究と、その人自身の個性やバックボーン、ましてファッションとは、本来直接の因果関係はないはずなのに。


 アメリカンフットボールを伝えるのにも、似たハードルがある。「ルールが難解」「戦術が難しい」。残念ながら、今の日本人にとって敷居が高いスポーツであることは間違いない。
 また、認知度が低いゆえに、専門的な戦術の解説を躊躇するケースも多い。結果として、活躍した選手やコーチの、競技以外のエピソードや人となりを伝える文章になりがちだ。
 普及のため、興味をもってもらうために、「わかりやすい」「親しみやすい」記事は大切だろう。だが、フィールドで起きたこととの因果関係が明確でない個人のエピソードを書くことは無意味なばかりか、害になる場合もある。


 写真撮影が専門で、これまでフィールド内に絞った取材をしてきた。結果として、社会人フットボールのXリーグについて昨シーズンに書いた一連のコラムはコラムとは言えない、単なる観戦レポートの羅列だった。
 文章力の拙さもあり、反省する部分は多い。しかし、プロ野球・南海ホークスの名監督だった故・鶴岡一人さんの「グラウンドにはゼニが落ちている」ではないが、「ネタはフィールドに転がっている」のだ。


 オービックの大橋誠ヘッドコーチが言う「フィールド内で、これから起きることに集中する」をモットーに、これからも撮って、書いていくことに変わりはない。新しい年度の初めに記しておきたい。

【写真】社会人Xリーグを中心に小座野さんは長年フットボールの撮影を続けている=撮影:Yosei Kozano、2013年、大井第2球技場