2014年1月3日のライスボウル。オービック・シーガルズが4連覇達成。この日を最後にフィールドから去ることを決めていた、日本を代表する一人のレシーバーがいました。オービックのWR、背番号83の清水謙選手です。


 引退を聞いたのは、13年のジャパンエックスボウルの試合後でした。節目ごとに去就について聞くようになっていた私は、今回もいつものように聞いてみたのです。すると清水選手からは「引退します。まだ体は動くけれど、首のヘルニアがね…しんどいです」と、意外なほど潔い答えが返ってきました。迷いのないすっきりした表情で。


 実は清水選手、12年シーズンに首のヘルニアを患いました。首のヘルニアは骨折や靭帯損傷とはまったくの別物。場合によっては半身不随になる可能性もある、とても危険なものです。そのまま引退を決意してもおかしくはありません。でも清水選手はそこで引退する道を選びませんでした。
 「ライスボウルがふがいなかった。1年前が社会人として情けない勝ち方だったから、今シーズンこそ自分たちのオフェンスを出し切って圧倒しようと取り組んできたのに、全く出せなかったし、個人としても貢献できなかった。これじゃやめられないと思いました。そのときは少し首もよくなっていた気もしましたしね」


 ですが、首の状態は思っていた以上に深刻でした。ヒットの練習はできなくなり、筋力トレーニングをすることすら難しくなっていたそうです。試合でも清水選手の見せ場であるリターナーに入ることはめっきり少なくなりました。
 それでもレシーバーとして出場する限り、何度もヒヤリとする場面が訪れます。首に衝撃を受けた直後は手が動かず、とうとうやってしまったと思ったこともあったとか。「やっぱり1年前にやめておけばよかったと思う瞬間は何度もありました」。本人は笑って振り返ります。


 清水選手は、11年の世界選手権オーストリア大会直前に一度引退宣言をしています。3大会連続の代表。しかし、この時の道のりはとても厳しいものでした。
 レシーバーは「一番の激戦」といわれたポジション、その上コンディションは万全とはほど遠い状態。代表合宿は、精神的にも肉体的にも本当に厳しかったそうです。それでも、本人曰く「ギリギリの」代表選出。これで引退すれば、この先もう代表の落選を味わうことなく去れる―。大会前に今シーズン限りでの引退を宣言しました。


 最後の代表。ふたを開けてみれば、大活躍でした。特にカナダ戦でみせた勝負どころでのスーパーキャッチ、1ヤードでも前へという気迫あふれるプレー。「自分に求められているのは、厳しい局面で流れを変えるようなプレー」と話していた通りのプレーをみせてくれました。
 万全のコンディションでなくても、経験豊富な清水選手をコーチたちが代表に選んだ理由は、まさにこういうことだったのでしょう。大会終了後の清水選手の表情は充実感に満ちていました。


 そして同じシーズン、チームはライスボウル2連覇。引退を宣言している選手にこれほどの有終の美がほかにあるでしょうか。でも、清水選手は引退を撤回するのです。理由は、ずっと苦楽をともにした、もっとも信頼をおくチームメート、RB古谷拓也選手に「俺もやるから一緒にやろう」と言われたからでした。


 元々引退を決意したのには、もう一つ大きな理由がありました。古谷選手とともにいつも行動をともにしていたOL宮本士選手の引退です。
 宮本選手は引退後、東京工業大学でコーチになることが既に決まっていました。ずっと一緒だった仲間がいなくなるさみしさ。それならば自分も引退して、宮本選手とともに東工大でコーチをするか、現役を続けるか…。色々な迷いがあったなかでの現役続行の決定打が、古谷選手の一言だったのです。


 フットボールとともに歩んできた人生。30代に入り引退が頭をよぎるようになりました。ピークは越えたかもしれない。でもそれを補うのが、経験、プライド、仲間が与えてくれる力。苦しくても厳しくても、乗り越えた先には味わったことのない充実感がありました。そしてこの先…。ここまでくると現役を続ける決意も、引退をする決意も、どちらも同じように難しいことなのかもしれません。


 でも今シーズン、ジャパンエックスボウル後の引退宣言は、11年シーズンのそれとは明らかに違いました。すっきりした表情は、世界選手権後の充実感に満ちた表情を思い出させました。もう心は完全に決まっていたのでしょう。誰にも左右されることなく。
 ライスボウルで4連覇を達成し、喜びに沸くオービックのサイドラインで、清水選手は涙が止まりませんでした。
 「もう二度とこのフィールドに立つことはないのかと思うと…。鎌倉高校でフットボールを始めた頃からの19年間の選手生活を思い出して…。感極まりました」


 悔いはないか聞いてみました。すると。
 「19年目のシーズン、初めてリターンタッチダウンができなったことは少し心残りです」
 清水選手は自分のことをこう表現します。「一般的にはレシーバー兼リターナーというのだろうけど、自分はリターナー兼レシーバーという感覚。リターナーでは誰にも負けたくなかった」


 そこに心残りがあるなら、まだ続けてほしい。でも首のヘルニアを考えると、これ以上続けてとはとても言えません。ではもし首のヘルニアがなかったら…。「うーん、やっぱり今年はやめていると思います。年々しんどくなっているのは事実。それにまた今年は代表選考があるし…」


 首の状態が戻ることは考えられないなかでハイレベルな選手たちと競い合い、そして落選するかもしれないというプレッシャー。「落選するショックを味わいたくない」と正直な気持ちを話してくれましたが、その言葉から11年がどれだけ厳しかったのか、あらためて伝わってきました。


 今、清水選手はいったんフットボール界から離れることを考えています。フットボール以外にやりたいことがあるのだそうです。でもフットボールから離れたらやっぱり恋しくなるのでは? そうなったら戻ってくるのか。「そうかもしれないですね。将来的にはコーチとしてフットボールに関わりたいとは思います」


 最後に私が一番印象的だった言葉を。
 「僕は世界選手権第3回大会も第4回大会もギリギリでの代表入りだったし、つくづく運がいいと思います。でも、いつもギリギリのところで選んでもらっているからこそ、期待に応えたいという気持ちが、1ヤードでも前へというプレースタイルにつながっていたのかもしれません」 ―。

【写真】専修大、オービックでビッグプレーメーカーとして活躍したWR清水謙=2011年、JXB