1980年代にNFLをご覧になった方でビル・ウォルシュの名前を知らない人はいないだろう。
 ヘッドコーチ(HC)として、まだ考案されたばかりだった「ウエストコーストオフェンス」をいち早く採り入れ、QBジョー・モンタナやWRジェリー・ライスらを育て49ersの黄金時代を築いた名将だ。


 ウォルシュの下で修業を積んで後にHCになったコーチは多い。彼の後を継いでナイナーズのHCになったジョージ・シーファート、バイキングズ、カージナルスで指揮を執ったデニス・グリーン、パッカーズを強豪として復活させたマイク・ホルムグレンらがそうだ。


 コーチの師弟関係を家系図のように描いた人脈図を「コーチングツリー」というが、ウォルシュのツリーには上記のほか、ジョン・グルーデン(レイダーズ、バッカニアーズ)、アンディ・リード(イーグルス、チーフス)、マイク・シャナハン(ブロンコス、レッドスキンズ)、ブライアン・ビリック(レーベンズ)らが名を連ねる。
 彼らはすべて直接または間接的にウォルシュの薫陶を受けたコーチたちだ。


 ウォルシュの直系ではないが、彼の影響を受けたHCがまた一人誕生した。チャージャーズの新HCに就任したアンソニー・リンだ。
 48歳のリンは現役選手としてNFLで7年間在籍した経験を持つが、すでにウォルシュはHCを引退していたために直接の指導を受けてはいない。また、リン自身がコーチに転じた後もウォルシュとの交流はない。


 それでもリンは自分がコーチになった背景にはウォルシュの影響が大きいと述べる。そのエピソードは今年1月のHC就任会見で明らかにされた。


 リンが49ersでRBとしてプレーしていた1996年のことだ。この年にコンサルタントとしてチームに復帰していたウォルシュからランチに誘われたという。
 解雇宣告かと不安に駆られたリンに、ウォルシュは「コーチにならないか」と声をかけたそうだ。


 最初は引退勧告だと思ったそうだ。しかし、そうではなかった。当時ウォルシュはマイノリティ(少数派民族)がNFLでコーチ職に就くことを支援するプログラムをリーグとともに立ち上げたばかりだった。
 「Bill Walsh Diversity Coaching Fellowship」という名前のこのプログラムは、マイノリティの若い人材をチームのミニキャンプやトレーニングキャンプにインターンとして派遣し、実際の現場でコーチ経験を積ませるもので、現在でも続いている。


 ウォルシュはその派遣メンバーにアフリカ系アメリカ人のリンを指名したのだった。
 「コーチ業なんて考えたこともなかったが、間違いなくあの瞬間に今日につながる『種』がまかれたのだと思う」とリンは語る。
 このランチを境に、リンは常にコーチとしての自分を意識するようになり、ミーティングでのノートのとりかたも変わったのだという。


 リンはすぐには現役を引退せず、その後ブロンコスに移籍してスーパーボウル優勝を2度経験する。ちなみにこの時のブロンコスのHCはシャナハンだ。
 1999年シーズンを最後に引退し、そのままブロンコスでアシスタントコーチを始めた。その後、ジャガーズ、カウボーイズ、ブラウンズ、ジェッツで修業を積んだ後、2015年からビルズのRBコーチとなった。


 大きな変化が起きたのは昨年だ。開幕からわずか2週でグレッグ・ローマン攻撃コーディネーターが解雇されたため、リンがそのポストに昇格する。そして、最終週には解任されたレックス・ライアンHCに代わってHC代行も務めた。
 ここで注目を浴びたのか、このオフにはHCのオファーが殺到し、チャージャーズとの間で交渉がまとまったのだ。


 今年からロサンゼルスに本拠地を移すチャージャーズには、ファンの新規開拓という大きな課題がある。
 さらに、ラムズと共用する新スタジアムがオープンする2020年までは、MLSロサンゼルス・ギャラクシーのわずか3万人収容のスタッブハブセンターを使用せざるを得ない。条件が必ずしも整っていないなかで、リンはチャージャーズの新たなスタートの舵取りをすることを求められる。


 チャージャーズはHC経験の豊富な人材を登用する慣例があったが、それをあえて破ってまでリンの手腕に期待をかけている証拠だ。
 また、チャージャーズがマイノリティのHCを採用するのも初めてだ。


 今季はマイノリティのHCがリンを含めて8人で、2011年と並んで過去最多だ。ここにもウォルシュの影響が及んでいる。やはり偉大な人物だったのだと改めて思う。
 この7月30日でウォルシュが天に召されてから早くも10年を迎える。

【写真】今季チャージャーズを率いるアンソニー・リン新HC=写真提供・NFLジャパン/AP Photo/Kelvin Kuo