このところ現地取材の話題が続いているので、今回はその中で体験したエピソードを紹介したい。日本とは事情の違うアメリカでの取材はそれなりにハプニングもあり、アメリカ独特の演出もあり、なかなか面白いものなのだ。


 ▽こんなところにモンタナ?
 アリゾナ州テンピで行われた第30回スーパーボウル(1996年1月、スティーラーズ対カウボーイズ)を取材した時のこと。試合の数日前にとある鉄板焼き店で記者仲間と食事をしていると、ドアが開いておもむろにジョー・モンタナ(元49ers、チーフスQB)が登場した。


 どうやら奥のVIPルームで食事をしていたスタッフに合流するために来店したらしい。店中の人が唖然とする中、当のモンタナはビール瓶を両手に抱えて(ちなみに日本産)奥の部屋へと消えていったのだった。
 数々の大逆転劇を演出してきたスーパースターが、ビール瓶を両手に持って歩く姿は正直言って似合わなかった。


 ▽フライオーバーで遅刻
 試合前のセレモニーのクライマックスといえば国歌斉唱の際のフライオーバーだ。アメリカ国歌「The Star Spangled Banner(星条旗よ永遠なれ)」の最も盛り上がるところで、米国軍の全面協力による戦闘機の低空飛行がオーバーラップするおなじみのシーンである。


 筆者が初めて経験したのは第29回大会(1995年1月、フロリダ州マイアミ、49ers対チャージャーズ)で、この時は筆者のいる記者席の後方からF16が飛来し、その迫力に驚いたものだった。
 その翌年の第30回大会の舞台であるアリゾナ州立大学のサンデビルズスタジアムも屋外スタジアムだったのでフライオーバーの迫力に対する期待は高まった。ところが―。


 戦闘機は記者席の真正面から飛んできたのだ。国歌のクライマックスよりずいぶん前から戦闘機が見えてしまい、大いに興ざめしてしまったのを覚えている。


 フライオーバーはそのタイミングがすべてだ。早すぎても遅すぎても失敗なのだ。試合の前日には実際にスタジアムの上に戦闘機を飛ばしてリハーサルを行う。予行演習通りにいかないのが世の常だ。


 ブロンコスがパッカーズを破り、QBジョン・エルウェーが4度目の挑戦で初めてスーパーボウル優勝を果たした第32回大会(1998年1月、カリフォルニア州サンディエゴ)のこと。この時、初めて米軍自慢のステルスがフライオーバーに採用された。
 記者席内の筆者の場所は屋根があり、フライオーバーが見えにくかった。そこで、席を離れて空の見える場所まで移動したのだが、アメリカ国歌の盛り上がる場面に来ても、一向にステルスの姿が見えない。


 「えっ、これがステルス? さすがに音も聞こえず、姿も見えない」と一瞬でも思ったのは筆者の浅はかさ。何のことはない、タイミングがずれてステルスが遅れてしまったのだ。
 国歌が終わりにさしかかって、ようやく到達した「忍者戦闘機」なんともばつの悪いスーパーボウルデビューだった。


 ▽シャッターチャンス
 スーパーボウル直前の金曜日には、出場チームのヘッドコーチ(HC)が30分ずつ記者会見を行うのが恒例。最近では、出場チームの両HCが同時に登場してトークショーのような形式で行われることもある。
 会見場には優勝杯である「ビンス・ロンバルディー・トロフィー」が飾られ、出場チームのヘルメットが並び置かれる。


 HCは記者会見の最後の質問に答えた後にトロフィーとヘルメットが置かれているテーブルの前に移動してフォトセッションに応じるのが慣例だ。この際、HCがトロフィーを手にするかどうかが大きな話題になった時期がある。
 勝者だけがトロフィーを手にすることができると考えるHCは決して手を触れない。逆に気にせずに手を触れたHCのチームが本番のスーパーボウルで負けるというジンクスもあったようだ。


 いずれにせよ、HCがトロフィーの前に立つのはフォトグラファーにとっては絶好の、いや絶対に逃してはならないシャッターチャンスだ。
 だから、質疑応答を締めくくる「それでは最後の質問を」とのアナウンスがなされた瞬間、メディアスペースの最前列に陣取ったフォトグラファーたちは順番を競ってトロフィーの前に移動する。


 その動きはまるで、一斉に押し寄せる大波のようだ。どのメディアも絶好の撮影位置を確保しようと必死で、それでいてあらかじめ場所取りをする「フライング」を避けるマナーも徹底している。
 HCがポーズをとった瞬間、激しく鳴り響くシャッター音。筆者に言わせれば、これもスーパーボウルウイークの風物詩だ。


 それを台無しにしたのがペイトリオッツのビル・ベリチックである。彼の率いるペイトリオッツが2度目のスーパーボウル出場を果たした2003年2月(テキサス州ヒューストン、対パンサーズ)か、もしくはその翌年の対イーグルス戦(フロリダ州ジャクソンビル)だったと思うのだが、記者会見の後ベリチックはトロフィーとヘルメットの前でポーズをとらずに素通りしたのだ。筆者の知る限り、そんなことをしたHCは初めてだった。


 唖然とするフォトグラファーとその後ろに控える記者たちには目もくれず、ベリチックは会場を後にした。雨のように降り注ぐシャッター音はついに聞かれずじまいだった。


 ▽ホテルがない?
 これはスーパーボウルではなく、2006年シーズンの開幕週を取材した時のこと。この週のサンデーナイトゲームはペイトン・マニング(コルツ、ブロンコスでQBとしてプレーした後2016年に引退)と実弟イーライ・マニング(現ジャイアンツQB)のNFLでの初対決、いわゆる最初の「マニングボウル」だった。


 筆者は試合当日の1カ月以上前から、ニュージャージー州にあるホテルの部屋を予約。ところが、最寄りの空港についてタクシーの運転手に尋ねてもそのホテルを知らないという。
 見知らぬ土地で、予約していたはずのホテルがないというハプニングほど不安になることはない。ナイトゲームに合わせてフライトの予約をとっていたので、それからホテルを探す余裕などない。


 米国のホテル事情など把握していない筆者にとっては、パニックに陥りそうな状況だった。
 幸いインターネット予約をしたサイトのコピーを持っていたので、そこに運転手が問い合わせてくれた。どうやら、筆者が予約をしてから渡米するまでの間にホテルが売却されてしまったらしい。そんな連絡を筆者は一切受け取っていなかった。
 それでも、以前の名前を記憶しているタクシー運転手がいたので、無事に宿泊先に到着することはできた。


 「L」で始まる名前のそのホテルにチェックインしたのはいい。ところがそのLホテルはヒスパニック系の資本らしく、従業員もほぼすべてがヒスパニックと思われる人たち。
 困ったのは、そのホテルから車で10分ほどのジャイアンツスタジアムのことをホテルのフロントが知らなかったことだ。


 NFLのスタジアム近くのホテルでは、試合会場までの無料シャトルバスを用意するのが一般的だ。それを尋ねると、「ジャイアンツスタジアムで何かイベントがあるのですか?」との答え。
 試合当日ですら、ジャイアンツスタジアムでNFLの試合、しかもマニング兄弟が初めてプロフットボールで対決するゲームが行われることを知らなかったのだ。


 チェックインの際にホテルのフロントの従業員からジャイアンツスタジアムに行く無料のシャトルバスがあると聞いていたのだが、それも出発するころになって運行されないことが発覚(そもそもそんなバスなど存在しなかった)。
 さらに、急いで乗ったタクシーの運転手がジャイアンツスタジアムの場所を知らなかった。わずか10分で着く場所にもかかわらずだ。


 必死で場所を説明するのだが、「フットボール」をサッカーだと思い込んだ運転手はなかなか理解してくれない。
 これほど苦労して到着したスタジアムは他にはなかった。ジャイアンツスタジアムにたどり着いたころにはくたくただったのを覚えている。
 NFLを取材しているとこういったトラブルは日常茶飯事。なかなか大変なのだ。

【写真】2010年の第44回スーパーボウル前の記者会見後、トロフィーの前で直立不動のポーズをとるコルツのジム・コールドウェルHC=写真提供・生沢浩さん