ディフェンスのコーチとして名高いバディ・ライアン氏が先月亡くなった。85歳だった。


 1985年シーズンにシカゴ・ベアーズがスーパーボウル制覇したときの守備コーディネーターとしての手腕が最も有名だ。
 オフェンスに積極的にプレッシャーをかけていくことをフィロソフィーとするそのディフェンスは「46ディフェンス」と呼ばれ、現在でもそのスタイルは受け継がれている。


 守備隊形を指す3―4(スリーフォー)や4―3(フォースリー)とは違い、46は「フォーティシックス」と読む。それはリーグ制覇時のベアーズのキーマンの一人であったSSダグ・プランクの背番号に由来するからだ。


 そのSSをスクリメージライン近くにラインアップさせる、いわゆる「8マンボックス」を基本とし、プレーの開始とともに複数の選手がブリッツする。オフェンスの動きに反応するのではなく、プレーそのものを潰してしまうのが目的だ。


 当時のNFLはパス主流に向かう転換期だった。サンフランシスコ49ersがQBジョー・モンタナの能力を生かしたウエストコーストオフェンスで成功をおさめ、パスで効率よくゲインを重ねるという考え方が広まりつつあった。
 ライアンの46ディフェンスはその流れに一石を投じる形となった。パスによるロングゲインがどんなに脅威であろうと、そのパスが成功しなければ意味がない。であれば、パスが投げられる前にQBを倒してしまえというのがライアンの方針だった。


 それに対抗するかのようにウエストコーストオフェンスも、早いタイミングでのショートパスを多用することでQBを守り、ロングゲインよりパス効率を優先して、ランと同様のボールコントロールを可能にした。
 するとディフェンスも、ブリッツする選手やタイミングを多様化することでオフェンスを混乱させた。ライアンはこうした攻守のせめぎあいが激しく行われた時代の主役の一人だった。


 ディフェンスのスタイルの象徴されるように気性の激しい人でもあった。歯に衣着せぬ言動はチーム内で摩擦を生み、ベアーズ時代もHCのマイク・ディトカとは確執があったと伝えられている。


 ヒューストン・オイラーズの守備コーディネーターだった1993年には、ふがいないオフェンスに腹を立て、試合中にもかかわらず攻撃コーディネーターのケビン・ギルブライドを殴りつけたこともある。
 ギルブライドの顔面にパンチをお見舞いするシーンはテレビでとらえられ、全米に放送されてしまった。


 その激しい気性は息子たちのレックス(現バファロー・ビルズHC)とロブ(レックスの双子の弟、今季からビルズのアシスタントコーチ)にも受け継がれている。
 そして、ディフェンスのフィロソフィーはジェフ・フィッシャー(現ロサンゼルス・ラムズHC)らにも継承され、今でも多くの守備コーチがその基本を学んでいる。


 イーグルスやカージナルスでHCを務めたが、プレーオフで勝つことができず、やはり守備専任コーチとしての功績の方が大きかった。
 晩年は病気がちで療養生活を送っていたが、アグレッシブなディフェンスの代名詞とも言える彼の名声が衰えることはなかった。それはこれからも変わらないだろう。それだけライアンの残した功績、いや「爪痕」は大きいのである。

【写真】1985年のスーパーボウルで優勝したシカゴ・ベアーズのチームメートとホワイトハウスに招かれたライアン氏(AP=共同)