NFLのプレシーズンの訪れを告げるものといえば、毎年恒例の「プロフットボール殿堂の表彰式」だ。表彰式の翌日に行われるホール・オブ・フェイムゲーム(今年はスティーラーズ対バイキングズ)がプレシーズンゲームの第1試合で、ここから開幕まで約5週間のプレシーズン期間となる。
 表彰と試合が行われるのは、先月の世界選手権の舞台にもなったオハイオ州カントンのトム・ベンソン・スタジアムだ。


 今年殿堂入りを果たしたのは元スティーラーズのRBジェローム・ベティス、元レイダーズのWRティム・ブラウン 、49ersとカウボーイズで活躍したDEチャールズ・ヘイリー、チーフスの名OGウィル・シールズ、 チャージャーズ、ペイトリオッツでプレーしたLBジュニア・セアウ(故人)、元バイキングスCミック・ティンゲルホフ、ビルズやコルツでGMとして手腕を振るったビル・ポリアン、そして、1990年代のパッカーズを強豪チームに仕立て上げたGMロン・ウルフの8人だ。


 1960~70年代にかけて活躍したティンゲルホフ(プロボウル6回、オールプロ5回)を除いて、すべて筆者が新聞記者としてアメフットを取材するようになってからNFLで活躍した人たちで、それぞれに思い出がある。


 ヘイリーは史上ただ一人、片手の指がすべてスーパーボウルリングで埋まる選手だ。すなわち、スーパーボウル優勝を5回経験したことになる。
 90年代前半にNFCだけでなNFLの覇権をかけたライバル関係にあった49ersとカウボーイズの両方でスーパーボウル優勝に貢献した。


 CBディオン・サンダース(殿堂入り)とともに、高額年俸による熾烈な引き抜き合戦が展開された時代の申し子のような存在だった。
 その後、高騰する年俸と一極集中型の補強が問題となり、現在のサラリーキャップとフリーエージェントの制度が整備されたのだった。


 ブラウンは不運の選手だった。レイダーズでエースWRとしてプレーし、プロボウルの常連でもあった。しかし、個人成績が常にNFLの上位に入る一方でタイトルには恵まれず、スーパーボウルも2002年シーズンに一度だけ経験したが、バッカニアーズに敗れた。
 引退した後も殿堂入り候補に何度も挙げられたが、今年まで待たされた。


 セアウを初めて見たのは94年シーズンのスーパーボウルだった。その後、幾度か現地で取材したことのある選手だが、フィールドやロッカールームでの存在感は際立っており、すぐに居場所を見つけることができた。
 決して体格に恵まれていなかったが、気合いのこもったハードタックルは今でも鮮明に覚えている。07年シーズンにペイトリオッツでもスーパーボウルに出場したが、この時も優勝には手が届かなかった。
 残念ながら3年前に自殺という形でこの世を去った。殿堂入りの表彰式では娘のシドニーさんが登壇した。


 ウルフの功績はパッカーズのGM時代にマイク・ホルムグレンを49ersから招へいしてHCに据えたことと、まだ無名だったQBブレット・ファーブをファルコンズとのトレードで獲得したことだ。
 90年代半ばにパッカーズは49ers、カウボーイズに代わる第3勢力としてNFLで台頭するが、その中心にはホルムグレンとファーブがいた。現在は一線から身を引いているが、コンサルタントとしてNFLチームから助言を求められることもある。


 ポリアンはビルズとコルツを強豪チームに育てた手腕が高く評価されている。ドラフトを中心にしたチーム作りを得意とし、人材発掘に能力を発揮した。
 今でも語り草になっているのは、コルツ時代の99年のドラフトだ。ハイズマントロフィー受賞のRBリッキー・ウィリアムズが注目を浴びたが、ポリアンはあえてウィリアムズを見送ってエジャリン・ジェームズを1巡で指名した。その結果、コルツはQBペイトン・マニング、WRマービン・ハリソン、ジェームズの「トリプレッツ」と呼ばれたトリオで強力なオフェンスを形成した。
 ビルズ時代は90~93年にかけて4シーズン連続でスーパーボウルに出場しながら一度も勝てなかったが、コルツで06年シーズンにようやくスーパーボウルリングを獲得した。


 さて、トリにベティスを持ってくるわがままをお許しいただきたい。今回の殿堂入り8人の中で最も思い入れがあり、最も多く取材した選手だ。
 ベティスは93年にドラフト1巡指名を受けてラムズに入団。攻撃の最優秀新人賞を受賞するが、OLが弱かったこともあって2年目以降は不振だった。96年のドラフトでスティーラーズにトレードで放出されたが、これが彼にとっては幸いした。


 当時のスティーラーズはNFLでも屈指のランブロッキングOLがそろっており、「バス(Bus)」と異名をとるほどの巨体RBだったベティスと見事にマッチした。QBにこれといった人材がいなかったスティーラーズにおいて、ベティスのランは攻撃の核だった。


 04年にスティーラーズはようやく将来のフランチャイズQBと呼べる人材を獲得した。ベン・ロスリスバーガーだ。寄る年波とともに、すでに1000ヤードラッシュに届かなくなっていたベティスだが、新人のロスリスバーガーを支えるために奮闘し、ついにAFC決勝にまで駒を進めた。


 初めてのスーパーボウルに手が届くチャンスだったが、ペイトリオッツに阻まれてそれはかなわなかった。体力の限界を感じ、引退に心が傾いていたベティスだが、敗戦後にロスリスバーガーからかけられた一言で翻意する。
 「来年は絶対にデトロイトに連れて行くから。あと1年だけ現役を続けてほしい」。ロスリスバーガーはベティスにこう懇願したといわれる。
 デトロイトとは翌年のスーパーボウルの舞台であり、ベティスのホームタウンでもあった。地元で最後の花道を飾る、そんなシナリオが彼の頭をよぎった。


 翌年のスティーラーズはロスリスバーガーの言葉通りに、第6シードでのプレーオフ出場という逆境を跳ね返してデトロイト大会で優勝する。ベティスにとってこれ以上はない理想の幕引きだった。
 試合後のインタビューでベティスはトルーマン元米大統領の有名な言葉「The buck stops here (自分が責任を取る)」をもじったセリフで「The Bus stops here in Detroit(バスはここデトロイトで終点を迎える)」と述べ、引退を宣言した。


 殿堂の表彰式でスピーチしたベティスはこの時の言葉を引き合いに出し、「バスはデトロイトの第40回スーパーボウルで終点を迎えたと思っていた。でも、これからバスはいつでもカントンで走っている」と語り、現地に駆け付けた多くのスティーラーズファンから大きな拍手を受けた。

【写真】プロフットボールの殿堂入りを果たした元スティーラーズのRBジェローム・ベティス(AP=共同)