50~60歳くらいの年代の人とアメリカンフットボールの話になると、決まって昭和50年頃に訪れたNFLブームの話になる。NFLフィルムズ制作のダイジェスト番組が民放で放送され、いろんなグッズが販売された。


 かく言う筆者もドルフィンズのグルービーケース、コルツの選手が写っている下敷き、ファルコンズのロゴがあしらわれたフットボール型ケース入りの消しゴム、カウボーイズのヘルメット型キーホルダーなどを持っていた記憶がある。
 上記にもある下敷きは表が選手の写真で、裏にはNFL全チームのヘルメットのロゴが描かれていた。当時はまだ26チームしかなく、現在それぞれ4地区に分かれているカンファレンスの編成も3ディビジョン制だった。


 当時でNFLの情報がストップしたままの人にはレイブンズだ、テキサンズだと言ってもピンとこない。ボルティモアのチームと言えばコルツだったし、ロサンゼルスにはラムズがいた。この40年でNFLは大きく様変わりしたのだ。


 日本でにわかファンが急増した1975年頃のNFLは各カンファレンスがイースタン、セントラル、ウエスタンに分けられ、イースタンのみ5チームが所属し、ほかは4チームずつという編成だった。
 プレーオフは地区優勝チーム三つとワイルドカード1チームによるトーナメントで、2回勝てばスーパーボウルに出場できる仕組みだった。現在は6チームによる、シード制を含んだトーナメントで、1回戦から出場するチームは3回勝たないとスーパーボウルにまで駒を進めることができない。


 この仕組みは、NFLとその対抗リーグであったAFLが合併した1970年に制定された。1969年まではNFL(1920年誕生)とAFL(1960年設立)は、それぞれ別個に王座決定戦を行っていた。
 やがて、選手の奪い合いなど過当競争が問題視され、それを解決する方策として両リーグ合併の話が浮上した。その気運が高まるにつれて実現したのが統一王座決定戦の開催だった。これがスーパーボウルの始まりである。


 第1回のスーパーボウルは1966年シーズンの最終戦として翌年の1月15日にロサンゼルスのメモリアルコロシアムで行われ、NFL王者のパッカーズがAFL代表のチーフスを破った。
 この名残を受けて、現在でもスーパーボウルは旧AFLチームを中心に編成されたAFC(アメリカンフットボール・カンファレンス)と旧NFLチームが多く所属するNFC(ナショナルフットボール・カンファレンス)のそれぞれの優勝チームが戦う形式を継承している。
 ちなみに、「スーパーボウル」の名称が使われ始めたのは第3回大会からで、それまでは「AFL―NFLワールドチャンピオンシップゲーム」と呼ばれていた。


 NFLの編成に最初の変化が訪れたのは日本にブームが起きた翌年の1976年だった。タンパベイ・バッカニアーズとシアトル・シーホークスが新興チームとして誕生したのだ。
 初年度のみバッカニアーズはAFC、シーホークスはNFCのウエスタン・ディビジョンに所属したが、翌年からバッカニアーズはNFCセントラル、シーホークスはAFCウエスタンに移籍した。


 新興球団はゼロからチーム作りを始めるため、誕生から数年は苦戦する。バッカニアーズは1年目にシーズン全敗(当時はレギュラーシーズン14試合制)し、翌年も開幕から12連敗した。足掛け2年に及ぶ26連敗は今でもNFLの最長連敗記録だ。
 そのバッカニアーズはリーグ参戦4年目の1979年に地区優勝して初のプレーオフ進出を経験した。一方のシーホークスは1983年までポストシーズンを迎えることができなかった。バッカニアーズは2002年に、シーホークスは昨季にそれぞれスーパーボウル初優勝を果たしている。


 1978年にレギュラーシーズンが現行の16試合制となった。旧AFLと合併したNFLの人気が定着し、試合数増加による増収を見込めるとのリーグの判断がその背景にはあった。
 これに伴い、プレーオフに進出できるワイルドカード枠が一つ増やされた。ワイルドカードは1990年にもう1枠増え、現在と同じく第1~6シードが割り振られるようになる。


 80年代以降は新球団がしばらく誕生しない代わりに、チームの移転が相次いだ。まず、1982年にレイダーズがオークランドからロサンゼルスに移転、1984年にはコルツがボルティモアからインディアナポリスに本拠地を移した。
 1988年にはカーディナルズがセントルイスからフェニックに移転して「フェニックス・カーディナルズ」と名称を変えた。この名称は1994年にさらに「アリゾナ・カーディナルズ」と変更される。


 NFLが30チームにまで拡張されたのが1995年だ。ジャクソンビル・ジャガーズとカロライナ・パンサーズがリーグに参入した。新興チームは苦戦するのが常と先に書いたが、この2チームはそれぞれ翌年には早くもプレーオフに進出し、カンファレンス決勝にまで勝ち上がった。両チームとも勝てば創立2年目のチーム同士の異例のスーパーボウルとなるところだったが、それは実現しなかった。


 ジャガーズとパンサーズが誕生した1995年はまた、ロサンゼルスがチームを失った年でもあった。1994年シーズンを最後にラムズはセントルイスへ、レイダーズは古巣のオークランドに戻った。これ以降、ロサンゼルスには今もってNFLチームは存在していない。
 そして、1996年には、NFL発祥の地とも言われるクリーブランドからチームが消えた。以前にこの欄にも書いたが、ブラウンズのアート・モデルオーナー(当時)がボルティモアへの移転を強行し、当地にレイブンズを誕生させたのだった。


 やがてブラウンズは1999年に新興チームとして復活する。しかし、このためにNFLは誕生以来、初めて所属チームが奇数(31)となり、試合のないチームが毎週必ずあるといういびつな形になってしまう。
 この形が是正されてリーグが大きく再編されたのが2002年だ。ヒューストンにテキサンズが誕生して32チーム編成となり、新たにイースト、ノース、サウス、ウエストの4ディビジョン制が採用された。


 こうして1地区に等しく4チームが所属する現在の形が整った。また、これにともにない、シーホークスがAFCからNFCに再移転している。
 ヒューストンにはオイラーズが存在したが、1997年にナッシュビルに移転して「テネシー・オイラーズ」となり、2年後に現在のタイタンズに改称した。


 2002年の地区再編成ではディビジョンの東西南北と、チームの本拠地が存在する地区が地理的にほぼ一致するように配置された。ウエスタン・ディビジョン所属だったアトランタやカロライナがサウスに再編されたのがその例だ。
 その一方で、地理よりも従来からのライバル関係が優先されたケースもある。カウボーイズの本拠地ダラスは本来ならサウスに所属するべき位置にあるが、旧イースタン・ディビジョンのジャイアンツ、レッドスキンズとのライバル関係を維持したいという配慮からイースト所属となった。


 各ディビジョンに所属するチーム数が一定となったのは実は2002年が初めてだ。これにより、スケジュールが規則的に組みやすくなった。
 現在各チームはディビジョン内対戦が6試合、同じカンファレンスのうちの1ディビジョンと総当たりで4試合、さらに同じカンファレンスで対戦しないディビジョンで前年の順位が同じチームと2試合、そして別のカンファレンスのうちの1ディビジョンと総当たりで4試合を消化する。


 総当たりをするディビジョンはローテーションで決められるため、現行では4年で全31チームと対戦することになる。2001年までは前年の成績をもとに対戦相手が組まれていたため、強豪チームと長い低迷期にあるチームでは10年以上も対戦がないケースもあった。


 2002年以降は大きな変動はないが、最近はプレーオフチームをさらに1チーム増やす案が議論されている。また、現コミッショナーのロジャー・グッデル氏はレギュラーシーズンを18試合制にして、国外で開催する試合を増やしたいという意向をかねてから表明している。
 現状に満足せずに常に変化を遂げ、新たな方策を模索し続ける姿勢こそがNFLが全米最大のスポーツリーグとして君臨する理由なのだろう。

【写真】NFLのロジャー・グッデルコミッショナー(右)=5月29日(AP=共同)