選手の背番号にはさまざまな思い入れがあるものだ。NFLではポジションによってはつけられる番号がルールで決まっているので、選択肢が限られてしまうが、自分の誕生日や学生時代から使用している数字にこだわる選手は少なくない。
 移籍先で自分の希望する番号が他の選手に使用されている場合に金銭などと引き換えに譲ってもらうことすらある。


 また、ベンガルズやペイトリオッツで背番号「85」を着用したチャド・ジョンソンなどは2008~12年まで「8」と「5」をそれぞれスペイン語読みした「オチョシンコ」を苗字として使っていた(現在はジョンソンに戻している)。


 ブロンコスのLBボン・ミラーは少しばかり事情が違う。彼がつけている58番は自ら選んだものではなく、チームのGMジョン・エルウェー(当時の肩書きは球団の上級副社長)の命令によって決定されたものだ。
 ミラーは2011年のドラフト1巡で全体の2番目指名を受けてブロンコスに入団した。テキサス農工大でDEやLBとして活躍し、そのパスラッシュ能力の高さはカレッジ界随一との評価を受けていた。彼の当時の背番号は40番だった。


 この頃のブロンコスは、2010年のシーズン途中でジョシュ・マクダニエルズHCが解任されて4勝12敗で終わるなど低迷していた。そこで、パット・ボウレン・オーナーは1980~90年代にエースQBとして活躍し、97―98年シーズンにスーパーボウル連覇を果たしたエルウェーをフロントのトップに据えてチームの刷新を図った。


 エルウェーは人事面で全権を握って迎えた最初のドラフトでミラー指名を強く推した。実力とスター性を兼ね備えたミラーは、ブロンコス再建の旗頭として適任と判断したからだ。ディフェンスにバックグラウンドを持つジョン・フォックス新HCもその意見に同調し、ミラーの入団が実現した。
 選手の背番号は入団交渉または契約締結時に、チームが使用可能な背番号を提示し、その中から選手の好む数字を選ぶのが普通だ。しかし、エルウェーはミラーに対して「58」を着用するように強く要請した。


 この時、エルウェーの念頭にあったのはチーフスの名LBとして活躍し、エルウェー自身もライバルとして何度も対戦した故デリック・トーマスの姿だった。「58」とはトーマスの背番号であり、エルウェーにとっては最も恐れたパスラッシュの象徴だったのである。
 トーマスは1989年にドラフト1巡でチーフスに入り、ディフェンスの中心として活躍した。プロボウルに選出されること7回、オールプロにも3回名前を連ねた。


 1990年にマークした1試合7サックのNFL記録はいまだ破られていない。残念ながら2000年1月23日、吹雪の中カンザスシティの空港に向かう途中に自動車事故を起こし、約2週間後に33歳の生涯を閉じた。セントルイスで行われたラムズ対イーグルスのNFC決勝を観戦しに行く途中だったという。
 エルウェーは、ミラーがトーマスのように相手QBが恐れられるパスラッシャーになってほしいとの願いを込めて58番を与えようとした。そして、志半ばで逝ったライバルの遺志を継がせる思いもあっただろう。


 ミラーは入団後すぐにチーム最強のパスラッシャーとなり、すでにプロボウルに2回、オールプロに1回選出された。エルウェーの思惑通り、「トーマス2世」としての地位を着実に歩んでいる。
 昨季は薬物規定違反のため6試合の出場停止処分を受け、復帰後もシーズン終盤に膝のじん帯を断裂して故障車リスト入りとなったため、プレーオフからスーパーボウルにかけてはチームに貢献することができなかった。
 今季は汚名返上のシーズンである。伝説的なパスラッシャーの象徴である「58」を貶めないためにも、トーマスの届かなかったスーパーボウル制覇を実現させたい。

【写真】NBAの試合観戦に訪れたブロンコスのLBボン・ミラー(右)=3月17日(AP=共同)