2007年フランス大会の決勝は、ともに2度目の優勝を目指すイングランドと南アフリカの激突になった。分岐点になったのは南アフリカが9−3で迎えた前半終了直前のプレー。イングランドはWTBマーク・クエトがトライを決めたかに見えたが、ボールをグラウンディング(接地)する直前にタッチライン外にはじき出され、トライを認められなかった。南アフリカは5本のPGを決め、史上2度目となったノートライの決勝を制し、2回目の優勝を果たした。

2007年10月20日(フランス競技場)イングランド 6−15 南アフリカ

試合前

ブライアン・ハバナ(南アフリカ)
「本当に特別な夜だった。04年にジェーク・ホワイト監督がチームを率いることになり、ジョン・スミットを主将に任命した。最初のミーティングでは『07年大会で優勝する』と宣言した。(準々決勝でニュージーランドに敗れた)03年大会の記憶が鮮明だったので、全選手が携帯電話で日付を見て、エイプリルフールではないことを確認した」

ジョン・スミット(南アフリカ)
「ホワイト監督があそこまで過激なことを言うとは、バーにでも立ち寄ってきたのかと思った。しかし、監督は既に優勝できると強く確信していた。04年の時点で、チームは自信を失っていたが、それ以降は徐々に深まっていった。07年大会行きの飛行機に乗る時、それまでの4年間はW杯優勝という目的を達成するためだけにあったと思えた」

マーティン・コリー(イングランド)
「1カ月前の1次リーグで南アフリカに0−36で負けていたが、決勝の時には忘れていた。その前の1週間、素晴らしいトレーニングを積んだ」



試合

アラン・ローラン主審
「(クエトがトライを決めたかに見えた場面は)最初は全く問題のないプレーに見えた。しかし、100パーセントの確信がない場合はビデオ判定に委ねるしかない。本当に際どい判定だった。ビデオ再生を見ても『これは本当にギリギリだ』と思った。足がタッチラインに触れるのと、ボールがグラウンディングされるのと、どちらが先か判断するのは難しかった。しかし、1枚の静止映像は足がタッチラインに触れているのに、ボールが地面から5センチ上にあることを映し出していた。その時点で、トライを認めないのは間違いなく正しい判断だと思った」

ジョン・スミット(南アフリカ)
「決勝では(1次リーグで対戦した)イングランドとは違うと気付いていたので、全選手が神経質になっていた。36−0で勝つような試合にならないことは分かっていた。 決勝までの1週間、『準決勝をいい形で勝って、優勝杯に片手をかけている。もう片手をかけるには、決勝が人生で最後のテストマッチ、一生で唯一意味がある試合と思うしかない』と話していた。実際の試合ではその通りできたと思う。勝つために必要なことをやった。決勝という神経をすり減らすような一戦でも、試合をコントロールできたと感じた」

ローレンス・ダラーリオ(イングランド)
「南アフリカの方が鍵となるポジションで少しだけ経験が豊富だった。勝つのは自分たち、という信念があったと思う。南アフリカと対戦する時は、自分たちが一番と思っている相手と戦うことになる。勝つためには自分たちの方が上と信じなければならない。今振り返れば、イングランドには実際に勝てると信じていた選手が十分にいなかったと思う」

試合後

ジョン・スミット(南アフリカ)
「フーリー(・デュプレア)がボールをタッチラインの外に蹴り出したのを見て、膝をついて神に感謝した。その次は近くにいたから主審と抱き合った。ほかの人がいても、同じことをしていたと思う。涙があふれた。優勝杯を触れる6番目の選手になれたのは素晴らしい気持ちだった。自分の人生の中でどれだけ大きな瞬間だったか、理解できることはないだろう。同じ気持ちになったのは娘が生まれる時、優勝杯を掲げた時の2回しかない」

ブライアン・ハバナ(南アフリカ)
「南アフリカに帰国した後、初めて07年大会のことを正確に理解できたと思う。優勝ツアーで国内を回ったが、東ケープ州の農村地帯では黒人の子供たちが英雄の姿を一目でも見ようとやってきた。中には私たちが乗ったバスを4キロ、5キロと追いかけてきた。優勝杯や賞金は関係ない。金銭では測れない、何物にも代え難いことだった。あの成功に携わったのは本当に特別だ。大きな貢献ができたのは本当に素晴らしかった。しかし、南アフリカのさまざまな人種の人々にとって、優勝がどれだけの意味を持っているのかを目撃できたのは最高だった」

提供:RNS sw/mn/fs