ニュージーランド・ラグビーの新鋭、タウェラ・カーバーロー(25)は幼少期から2人のラグビー選手に憧れた。ひとりはラグビー界最大のスター、巨漢のジョナ・ロムーで、もうひとりはロムーに比べればはるかに知名度が低い小柄な選手だ。その人物とは、カーバーローにとって最も身近な存在、母ゲイルなのである。


幼少期からカーバーローは、オーストラリア女子代表チーム(ワラルーズ)のスクラムハーフとして活躍した母のプレーを見るため、北部準州ダーウィンのラグビー・クラブに足しげく通った。代表でプレーする母を見て、当時6歳のカーバーローは夢を抱くようになった。ただし、カーバーローの夢はやや風変りだった。ニュージーランド生まれの母はオーストラリアの代表で、自身もオーストラリアで育ったが、彼はオールブラックスのスクラムハーフになることを夢見るようになっていた。


オーストラリアのために戦った母は今、黒衣軍団の一員となった息子を応援する立場となった。昨年の今頃、けがのために代表入りが厳しいとみられたカーバーローだが、「W杯観戦のためにやってくる母に会えのはうれしい。黒いジャージを着るという目標以外、僕は常に母と同じ道を歩みたいと願っていた」と喜びをかみしめた。「父が仕事で家を留守にしていることが多く、ほとんど母に育てられた。土曜日になると必ずラグビー場に行き、母のプレーを見ていた。背番号9のジャージを着ていた母を見ていたから、僕も自然とその番号を付けたいと思うようになったんだ」


母は息子にスクラムハーフとしての技術を伝授した。「母はパスの技術向上のために手を貸してくれたが、14歳になったころには何も言わなくなった。たぶん僕のパスが強すぎるようになったのだろう。彼女も年だったかもしれない」。料理人、不動産業者、教員、ラグビーの審判、さらには建設会社経営者とさまざまな肩書きを持つ母は、カーバーローが帰郷する際は、熱心に息子の練習を手伝う。「僕が暑い中でランニングをしていると、ストップウォッチを持って一緒にやってくれる」のだという。母国オーストラリアでなく、ニュージーランドのためにプレーすることを選んだ息子の良き理解者であり続ける母。カーバーローは「私たちはオーストラリアで育ったが、ニュージーランド人だと常に思っている。1995年W杯を観戦した時から、オールブラックスの一員になることに憧れていた」と自らのルーツに思いをはせた。


カーバーローは昨年10月、南アフリカ戦で太ももに肉離れを起こしたほか、膝の靭帯(じんたい)を断裂しながら勇敢にプレーし続けた。けがは思いのほか深刻で、当初はW杯出場も危ぶまれていた。膝の手術を受けた後は痛みに耐えながらの長期のリハビリ。「地獄のようなシーズン」を終えた今は「再び調子が良くなった」と話すカーバーロー。少年時代から夢に見た大舞台でのプレーに向け、いま胸の高鳴りを感じている。

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