公的支援で選手層の拡大を-。そう訴える公益財団法人、鉄道弘済会義肢装具サポートセンター(東京都荒川区)の義肢装具士臼井二美男さん(58)=前橋市出身=は、パラリンピックの舞台で闘う選手たちを長年支えてきた。「足を切断した人も走ることで心身ともに成長できる」。国内では、競技用義足の作り手の草分けで第一人者。本業は日常生活で使う義足製作だ。米国では義足でスポーツをする人がいると知って驚き、二十年以上前から試行錯誤を重ねる。

 競技用の義足は弓のような形をしたカーボン製が主流だ。生活用よりもバランスの取り方が難しい。自らの体の一部とし、トラックを疾走、バーを跳び越えるためには想像を超す猛練習が必要だ。義肢装具士による繊細な調整も求められる。

 重要なのは切断部分を包み込む「ソケット」と呼ばれる部品。石こうで型を取り、ぴったり合うものにする。練習で筋肉が付けば、そのたびに作り替える。時々のコンディションに合わせ義足の角度をねじで微調整する仕組みも開発した。

 一九九一年には義足ランナーのチームをつくり、「ヘルスエンジェルス」と名付けた。初めは数人だったが、今や五十人を超えるメンバーが、都内の施設で月一回開く練習会に全国から集まる。

 その中から、二〇〇〇年シドニーから一二年ロンドンまで四大会連続で出場した高跳びの鈴木徹選手(33)や、二〇年東京大会の招致で活躍した陸上の佐藤真海(まみ)選手(31)らも育った。

 「義肢装具士になった三十年前には、義足で走れる人なんて、まずいなかった」と臼井さん。ただ、生活用と違い、七十万~八十万円する競技用義足の購入に公的な支援はない。費用が壁となって将来主役となる若手選手が育たないのではと懸念し、国などによる助成が必要と強調する。

 「スポーツに救われた」。昨年九月、大会招致の最終プレゼンテーションで、佐藤選手はこう述べた。臼井さんは障害者をたくましくし、自立へと導くスポーツの力を信じている。