アルペンスキーの最後を飾る男子回転が行われ、日本のエース湯浅直樹(スポーツアルペンク)、最後の五輪となる佐々木明(ICI石井スポーツ)はともに2回目で無念の途中棄権に終わった。1回目トップのマリオ・マット(オーストリア)が逃げ切って、アルペン史上最年長の34歳で優勝した。

湯浅は1月19日、スイスのウェンゲンで行われたワールドカップ(W杯)第5戦で右足首を骨折してから、わずか1カ月で戦列に戻ってきた。「復帰まで最低8週間」との診断にも、心が折れることはなかった。懸命のリハビリテーションを続け、雪上練習を再開したのが今月19日という。レースのわずか3日前というから驚きだ。

1回目は19番の滑走順。慎重に滑り出したかのように見えた。大きなミスもなく、トップのマットから2秒04遅れの20位でゴール。自らの滑りとタイム差に納得できないのか、首を右に左に振った。

2回目は、1回目の上位30選手がタイムの逆順で滑る。序盤の急斜面で旗門が大きく振られる厳しい設定。湯浅は11番スタートで、難しいセッティングを攻略できず、中盤で旗門を通過できなかった。「自分のライン取りを信じたが、耐えられずにコースアウトした。30歳にして道半ば。次の4年間をどうやるかで頭はいっぱい」と早くも巻き返しを期した。

2006年トリノ大会は7位。10年バンクーバー大会の日本代表は逃したが、11年世界選手権で6位と、世界のトップを目指して階段を上ってきた。

そして、12年12月、イタリアのマドンナディカンピリオで行われたW杯で3位に入り、岡部哲也、木村公宣、佐々木に続いて表彰台に立った4人目の日本人スラローマーとなった。

この時の試合は、今回のソチ大会と状況が似ている。腰痛の湯浅は、自力で歩くことがままならない状態だった。それでもレースになれば、痛みを忘れるほどに集中力が増す「極限の世界」に入り込んだ。1回目は首位と2秒06差の26位。2回目は2番目に速いタイムで滑り、一気に順位を上げた。死力を尽くしてゴールすると、転倒して動けなくなるほどだった。残念ながらこの日、その再現はならなかった。

湯浅の五輪は、もう一つの壮大な夢への挑戦でもあった。同選手は国産のスキー板を使う。「日本製のスキーに乗って、日本人で初めての金メダルを取る」。まさに「メード・イン・ジャパン」で欧米の強敵に挑んだのだった。

4年後の平昌大会に「夢のフルアタック」を期待しよう。

(共同通信編集委員 原田寛)

☆原田寛(はらだ・ひろし)1956年秋田県生まれ。共同通信ではスキー、テニス、五輪などを取材。冬季五輪は1994年リレハンメルから2010年バンクーバーまで4大会を取材。運動部副部長、大阪運動部長を経て現在、編集委員。