【ソチ舩本篤史】ノルディックスキー距離日本勢の歴史を塗り替えてきた石田正子(JR北海道)の3度目の五輪挑戦は上位争いに絡めずに終わった。女子30キロフリーで23位となり、オホーツク管内美幌町出身の33歳は「今回の五輪は我慢、我慢だった」と悔しそうな表情を浮かべた。

 レースは序盤から速いペースで進んだ。持ち味の粘り強さで、後半勝負に持ち込みたかった石田は「最初についていけなかったのが大きい」と言葉を絞り出した。

 2009年世界選手権で、短距離の元エースで現在は複合日本チームスタッフの夏見円さん(35)と組んだ団体スプリントは過去最高を更新する4位。10年バンクーバー五輪は史上最高の5位入賞に輝くなど、欧米勢の壁が厚い距離競技で世界のトップに食い込む唯一の日本人として活躍してきた。

 常に競技のことを考え、努力を惜しまず、自らを「少しずつ前進型」と表現する。

 06年トリノ五輪後、人一倍練習に励んだ。だが、07~08年は不調に陥り、体が悲鳴を上げた。オーバートレーニングで、「全然走れなくなった。疲れすぎてご飯を食べる時もひじをつかないと駄目だった」。向上心のかたまりで着実に成長してきたが、初めて競技が嫌になったという。

 そんなとき恩師が手を差し伸べてくれた。母校・旭大高の石川英樹監督(48)。「何かおいしいものでも食べに行こうか」。旭川市内のすし屋でほっと一息ついた。「いつも気にしてくれた。足を向けて寝られない」と感謝する。

 その時に聞いた一言がヒントになった。「練習量でなくて、技術的に見直そう」。もう一度前を向こうと思った。がむしゃらに走るだけでなく、長い距離を効率的に進む滑りを求めて、肩甲骨を中心に体を動かす現在のフォームにたどりついた。

 フォーム改良のため、ストレッチなどを繰り返し、硬かった体を柔らかくした。石川監督は「1年ですごい変わった。やると決めたら、とことんやる子」と目を細める。

 「地道に努力していれば、強くなれるって、いろんな競技の人に希望を持ってもらえれば」と話していたことがある。五輪では思うような成績は残せなかった。でも、ここまでの積み重ねた努力の跡が消えるわけではない。