スピードスケート女子団体追い抜きの日本は、銅メダルをかけた地元ロシアとの3位決定戦に敗れ、バンクーバーの銀に続く2大会連続のメダル獲得を逃した。今大会の日本のスピードスケート陣は2006年トリノ大会以来、2大会ぶりのメダルなしに終わった。

 日本選手団の副将で女子最年長、39歳の田畑真紀(ダイチ)を中軸に、高木菜那(日本電産サンキョー)押切美沙紀(富士急)の3人で3位決定戦は果敢な先行策に出たが、終盤に逆転を許した。準決勝に起用された菊池彩花(富士急)を含めた若手3人は、メダルを逃した悔しさをバネに「次の五輪での巻き返し」を誓った。チームを引っ張ってきた田畑の奮闘に敬意を表したい。

 スキー・ジャンプの葛西紀明(土屋ホーム)は今大会の日本選手団主将で男子最年長の41歳。男子ラージヒルで銀、団体で銅と2個のメダルを獲得し、前回バンクーバー大会で田畑が達成した「冬季五輪の日本最年長メダリスト、35歳」を塗り替え、団体では1998年長野でメンバーから外れた悔しさを晴らすメダルに涙を流した。田畑もまた98年長野の悔しさを、競技人生のバネにしてきた。97年12月、田畑は23歳。2大会連続の五輪代表は確実な情勢だったが、選考会を目前にしてアクシデントに見舞われた。公式練習で他の選手とぶつかって転倒し、左足首を骨折。「全治三カ月」の診断だった。

 北海道・駒大苫小牧高校時代から1500メートルを中心に将来を期待され、橋本聖子の背中を追うように93年4月、富士急へ。橋本聖子が中心にいて、岡崎朋美、三宮恵利子ら個性派が居並ぶチームの中で、どちらかといえば控えめで目立たないタイプの選手だった。94年リレハンメル。社会人1年目の19歳で五輪初出場を果たし、1500メートル16位。スケート会場「バイキングシップ」があるハーマルは、氷点下20度近くまで冷え込んでいた。レースを終えた田畑が、街の土産物店で五輪グッズを買っていた姿を思い出す。にこやかな笑顔は、初めての五輪を終えて次の長野へ夢を膨らませているように見えた。

 今大会の田畑には「5度目の五輪」が枕詞としてついて回った。長野のアクシデントがなければ、「6大会連続6度目の五輪」だっただろう。いや、長野のあの無念がなければ田畑の五輪への情熱は、とっくに途切れていたかもしれない。2002年ソルトレークシティー、06年トリノ。そして続くバンクーバーの団体追い抜きで銀メダル。ひた向きに頑張り続けた田畑への「スケートの神様からのご褒美」だったと思う。「集大成の五輪」で、ご褒美のメダルまで手にしながら、「まだまだ」と自転車にも挑戦して、このソチまで第一線で戦ってきた。たゆまぬ努力と、あくなき探求心に向上心。本当に頭が下がる。しかし、一方でこのベテランを乗り越えていく若い世代がなぜ出現しないのだろうかと素朴に思ってきた。

 ジャンプの葛西が長野でかなわなかった夢を、16年後のソチで実現したような派手な結果は残らなかった。葛西のように「レジェンド(伝説)」と呼ばれることは似合わないのかもしれない。レースを終えた田畑はさっぱりとした口調だった。「自分たちの力は出せて、いいレースはできた。世界に追いつくよう力をつけていかないといけない」。さらに田畑が挑戦を続けるのであれば、応援し見守ってくれる人は多いと思う。

(共同通信社スポーツ企画室長 中村広志)

中村広志(なかむら・ひろし)のプロフィル

1957年北九州市生まれ。共同通信でスケート、陸上、体操、五輪などを取材。冬季五輪は1992年アルベールビルから98年長野まで3大会を取材。名古屋運動部長、運動部担当部長を経て現在、スポーツデータ部長兼スポーツ企画室長。