鈴木が最後の五輪のフリー演技でシーズン最高点を更新した。「無事滑り終えることができて、本当に自分は幸せだと思いました」。2大会連続の入賞を果たし、ほっとした笑みを浮かべた。

 「神様ありがとう。滑らせてもらえるんだ」。リンクに入ると、前夜までの足の痛みは不思議と感じなかったという。3回転フリップで転倒したものの、他のジャンプは全て着氷。「何とか立ちたかった。最後まで我慢しなければならないのも私らしかったかな」。長久保コーチも「痛みに耐えてよく頑張りましたよ」と奮闘をたたえた。

 2人の出会いは仙台。愛知県出身の鈴木が小学6年の夏休み、長久保コーチが泉区のリンクで開いていた合宿に参加したのがきっかけだった。

 最初は目立たない存在。「手袋の色で『赤いの』って呼ばれていました」(鈴木)。ジャンプの指導に定評があるコーチの下で、すぐに2回転半がうまく跳べるようになる。もっとジャンプを教えてもらおうと、週末や夏休みになると仙台にやって来た。

 本格的に師事するため、進学先は東北福祉大を選んだ。しかし、仙台に移り住んでから摂食障害に。一時は体重が30キロ台まで落ちた。

 「競技を諦めなければならないかもしれない」。そんな苦境を支えたのも長久保コーチだった。歩くところから始まったリハビリ生活。「絶対戻れるような状態じゃないのに、先生は『戻れるよ』ってきっぱり言ってくれた」(鈴木)。その言葉が心の支えになった。

 「先生がいなかったら、二十歳を過ぎてスケートを続けることはできなかった。恩人です」。そう話す鈴木。長久保コーチは「山あり谷ありだったけど、やっと落ち着けるところにたどり着いたという感じかな」。

 二人三脚で歩んできた波瀾(はらん)万丈の競技キャリア。一区切りをつけた師弟の目には光るものがあった。

(ソチ=安住健郎)