【ソチ=本社五輪取材団】ソチ五輪第十四日の二十日、フィギュアスケート女子フリーで、前日のショートプログラム(SP)十六位と大きく出遅れた浅田真央(23)=中京大=はトリプルアクセル(3回転半)を含めすべてのジャンプをほぼ完璧に決め、フリー三位となる自己最高の142・71点をマーク。合計198・22点の六位まで順位を上げた。 

 一位はロシアの十七歳、アデリナ・ソトニコワ。SP二位からフリー一位の149・95点の合計224・59点を出して、SP首位のキム・ヨナ(韓国)を逆転した。キム・ヨナは二位で二連覇を逃した。三位はカロリナ・コストナー(イタリア)。鈴木明子(28)=邦和スポーツランド=は八位で二大会連続入賞。村上佳菜子(19)=中京大=は十二位だった。

 新種目フリースタイルスキー・ハーフパイプ(HP)女子で、小野塚彩那(おのづかあやな)(25)=石打丸山ク=が銅メダルに輝いた。今大会の日本のメダルは八個となり、海外の五輪で最多となった。

◆「逃げない」亡き母に誓い

 集大成の五輪を最高の演技で締めくくると、浅田真央は感極まり、顔をくしゃくしゃにした。「四年間、自分がやってきたことを出せて良かった」。悲願の金メダルに届かなかったが、トリプルアクセルを決めたフリーの滑りは圧巻だった。母の死を乗り越え、大人の女性へと自立した日本のエースが、二度目の五輪をうれし涙で終えた。

 二〇一一年十二月、母の匡子(きょうこ)さんが肝硬変のため、四十八歳の若さで亡くなった。親子二人三脚で歩んだスケート人生。悲しみに包まれた浅田は、それでも銀盤に背を向けなかった。キム・ヨナのように休養を挟み、五輪に照準を合わせる選択肢もあった。困難に立ち向かったのは「どんな時も言い訳はしない。逃げることなく試合に出なさい」という母の言葉が胸に刻まれていたからだ。

 匡子さんは若くして親と死別して苦労した。そんな母がいなくなった浅田は「自分で何でもできるママのことを尊敬していた」と周囲に明かし、自立を誓った。中学時代は切符の買い方も知らなかった電車に乗って移動し、練習には車を運転して通った。母が代筆していた年賀状も自ら書いて出すようになった。

 ことし一月、佐藤信夫コーチは「フリーのトリプルアクセルは一度にします」と直接伝えられた。今季の調子から「二度はリスクがある。いつか言わなければ」と思案していた。教え始めた当初はできなかった冷静な判断を示され「大人になった」と実感した。

 トリプルアクセルを軽々と跳んだ十五歳の冬。最強だったイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を破り、〇五年グランプリ・ファイナルで初優勝した。年齢制限の壁に阻まれ、〇六年トリノ冬季五輪出場がかなわなかった。当時教えた山田満知子コーチは「出れば金メダルを狙える技術があった」と残念そうに振り返る。四年に一度の五輪。巡り合わせもあった。

 匡子さんは生前「バンクーバーはママのための五輪だった。ソチは真央の五輪。自分の好きにやってほしい」と話したという。自分で考えた最高難度の構成を見事に演じきった四分間。「最高の演技ができて、たくさんの方に恩返しができたと思う」。浅田は天国の母に成長した姿を示した。 (共同)