小野塚彩那(石打丸山ク)がフリースタイルスキーの女子ハーフパイプ(HP)で3位に食い込んだ。HPは今大会から採用された新種目で、U字形コースを斜めに滑り下りて反対側の斜面に上り壁の上に飛び出し、空中でのジャンプの高さや回転技を競うことを繰り返す。スノーボードではひと足先に1998年の長野大会から導入されている。

 小野塚は予選を勝ち抜いて12人による決勝に進出。2回滑って得点の高い方が採用される方式で、1回目に79・00点で3位につけた。得意の高いジャンプが観客席からの歓声を誘う。だが、2回目はより高い得点を目指し、各選手が猛烈なチャージをかけてくる。転倒者も相次いだ。だが小野塚は臆せずコースに飛び出し、83・20点を獲得した。守りに入らず攻撃的にトライしたことが功を奏し、堂々3位を確保した。

 「メダル有望」の期待に見事にこたえ「うれしい。周りの人の支えがなかったら、絶対にここまで来られなかった。優勝には程遠かったと思うが、その中でそれなりに結果を残せて良かった」と控えめに喜びを表現した。

 かつてスキー国体の舞台にもなった雪深い新潟県の塩沢町(現南魚沼市)で生まれ、幼いころからスキーは生活の一部だった。小学生の頃からアルペンスキーの大会に出場し、地元の小、中学から湯沢高校を経て専大に進んだ。大回転を得意とし、全日本大学選手権などで活躍した。その後はスキーの基礎技術の習熟度を競う全日本技術スキー選手権などを活動の場としていた。

 2011年、小野塚に朗報が届いた。ソチ五輪でHPが実施されるという話だ。「五輪に出たい」との思いに突き動かされるようにHPへの挑戦が始まった。スキーの基礎技術をしっかり身につけているのが強みとなり、メキメキ頭角を現し2012―13年シーズンには世界選手権3位、ワールドカップ総合3位などの好成績を残した。

 だがこの頃は全日本スキー連盟からの財政援助は得られず、遠征費用は自ら賄わなければならなかった。13年5月になって連盟の強化指定選手特別Aに複合の渡部暁斗(北野建設)らとともにランクされた。実績と情熱が高く評価されたわけで、新しい種目に取り組む選手ならではの苦労は報われた。

 「メダルを取って初めて(HPが)メジャーになれると思っていた。それが取れてよかった」と喜ぶ小野塚のメダルは日本にとって今大会8個目。「10個以上」の獲得目標は今や風前のともしびとかしつつあるが、1992年アルベールビル大会の7個を上回る海外での最多記録を更新する価値あるものだった。 

(47NEWS 岡本彰)

岡本彰 1947年生まれ、北海道出身。共同通信の運動部で記者、デスク、部長などの立場から1972年札幌五輪以来多くの大会報道に携わった。記者としてはスキーなどを担当し、現在は47NEWS。