ノルディックスキー複合団体で、渡部暁斗(北野建設)湊祐介(東京美装)永井秀昭(岐阜日野自動車)渡部善斗(早大)で臨んだ日本は、前半飛躍で6位と出遅れたことが響いて「先行逃げ切り」のパターンをつくれず、後半リレーで5位に順位を上げたにとどまった。

 個人ノーマルヒルで渡部暁が2位に入り、日本勢で1994年リレハンメル大会以来20年ぶりのメダルを獲得。92年アルベールビル、続くリレハンメル両大会で金メダルを獲得した団体で「複合ニッポン」の再現を期待されたが、不発に終わった。永井は「日本チームは誰一人、諦めることなくゴールを目指した」と話し、渡部暁は「正直、悔しい。個人の銀メダルを忘れるぐらい敗北感がある」と胸の内を明かした。

 日本は個人ラージヒルで加藤大平(サッポロノルディックク)がジャンプで転倒して肘などを負傷し、団体戦を欠場したことが痛かった。前半飛躍で、エース渡部暁をトップバッターに起用して「勢い」を付ける作戦に出た。第1グループでは最長の128メートルを飛んでトップに立ったものの、大きなリードを奪えなかった。2番手の湊は距離が得意な選手で、個人戦の出場はなかった。110・5メートルと失速して日本は6位に後退。永井、渡部善で挽回できなかった。距離が強い3位のノルウェーまでのタイム差は40秒に広がり、後半リレーで巻き返して表彰台を目指すことが絶望的になった。

 複合の歴史を振り返れば、1990年代に日本がV字スタイルのジャンプを習得して強国に成長。前半飛躍で試合の大勢が決まることにスキー大国がそろう欧州から反論が出て、競技ルールがめまぐるしく変わった。

 92年アルベールビル大会の団体で、日本がノルウェーを抑えて初優勝。飛躍は3回飛んで成績のいい2回を採用していたが、93~94年シーズンから2回飛んで2回採用に変更された。

 94年リレハンメル大会の団体は、日本が前半飛躍でノルウェーに5分7秒もの大差を付けて圧勝。3人が10キロずつ走ってリレーしていたが、94~95年シーズンからは4人が各5キロをリレーする方式に変更され、得点配分も距離が重視されるようになった。

 日本は大きな流れに翻弄されてきた。今回、団体戦は不本意な結果に終わったものの、ノーマルヒル個人の渡部暁の戦い方は日本の今後を示唆した。距離で対抗できるだけの走力を蓄えつつ、前半飛躍で好位置に付けることが絶対条件だ。「先行有利」の戦術に変わりはない。渡部暁は「4年後の五輪は3つのメダルが取れるように頑張る」と力強く結んだ。

(共同通信編集委員 原田寛)

原田寛[はらだ・ひろし]のプロフィル

1956年秋田県生まれ。共同通信ではスキー、テニス、五輪などを取材。冬季

五輪は1994年リレハンメルから2010年バンクーバーまで4大会を取材。

運動部副部長、大阪運動部長を経て現在、編集委員。