栄冠目前で転倒してメダルの色は銀になった。それでも、スノーボード・パラレル大回転の旭川市出身・竹内智香(30)=広島ガス、クラーク高出=は言い切った。「表彰台に立ててうれしい。でも、今までやってきたことに価値があるんです」。その表情は無念さより、すがすがしさを感じさせた。

 「母国に反骨心を持ったままではメダルは取れないよ。ちゃんとサポートを受けた方がいい」。2012年春、オーストリア人のフェリックス・スタドラーコーチ(41)に言われた言葉が胸にささった。とがっていた自分に気づいた。

 9位に終わった06年トリノ五輪の翌年、「日本のやり方では勝てない」と代表チームを離れた。強豪国に比べ、指導体制やサポートは不十分だったとはいえ、五輪代表選手としては異例の行動。「強豪国で練習したら、もっと成長できる」と、本場欧州の代表チームに練習参加を申し出た。断られ続け、スイスチームに3度目の懇願で加えてもらった。

 毎日が必死だった。スイスチームでは「トモカの同行を認めるか?」を毎年協議した。全員の賛同が不可欠で「『ノー』と言われれば終わり。必要な選手になるしかなかった」。自力でスポンサーを探し、航空券や宿泊先も全て自分で手配した。母の裕子さん(59)は「電話で暗い声でも、つらいとは言わなかった」と話す。

 スイスで向上した速さと技術を武器に臨んだ前回五輪。スタッフはスイス人だけで「日本に自分の速さを見せてやる」と挑んだ。結果は無念の13位。涙があふれた。

 10年、バンクーバー五輪後に札幌の企業と契約が切れると、親類がいる縁で応援組織のある広島へ。広島ホームテレビの契約社員となり、スイスを拠点に競技を続けていた。

 竹内は「日本のサポートなしでも勝てる」と戦ってきたが、五輪メダリストを何人も育て、11年から個人契約を結ぶ同コーチは分かっていた。「余計な欲があると勝てないよ」。同コーチの橋渡しで母国に歩み寄った。日本チームも竹内の成長を認め、4年半ぶりに拠点を日本に戻した。

 ソチ五輪を控え、日本のサポート態勢も手厚くなっており、竹内を後押しした。

 ソチのコースは全長650メートルとワールドカップ(W杯)より40%ほど長い。さらに予選から決勝まで10回滑るため、スタミナ勝負になる。国立スポーツ科学センター(東京)では、心肺機能とフィジカルを高めた。欧州で培った速さと技術、日本で高めた体力が融合し、日本に今大会7個目、女子で第1号のメダルをもたらした。

 「ソチでは日本代表として戦えた。支えてもらった恩返しをしたかった」。反骨心ではなく、感謝の気持ちを持って戦えた。「普通の選手ではできない経験をしてきた。それが今日の強さになったかな」。表彰台で柔らかな笑みが広がった。(舩本篤史)