葛西紀明が泣いた。

 二日前。二十二年の挑戦で個人戦初の銀メダルを手にしても泣かなかった男が、チームで勝ち取った銅メダルに涙が止まらなかった。「メダルの色は関係ない。みんなけがや病気を抱える中、いいパフォーマンスをしてくれた。なんとしても後輩にメダルをとらせてやりたかった」

 長野で金メダルに輝いた日本のジャンプ団体。十六年ぶりのメダルの価値を知る葛西の涙だ。父親でさえ「泣いている姿を見たのは初めて」という。

 団体メンバーから落選し歓喜の輪に加われなかった長野。負けん気が強く正直な男は、自分のいないチームのジャンプを見つめた気持ちをこう振り返ったことがある。「飛べではなく、落ちろと思っていた。金メダルをとるなと」

 それから三大会、メダルから遠ざかった日本。相次ぐスキー板やルールの変更もあり、日本勢は個人戦でも低空飛行を続けてきた。

 葛西も例外ではない。ワールドカップ(W杯)で実績を重ねても五輪になると実力を出し切れない。それでも二十代のころの体力を維持し、長野のメンバーが引退していく中、時間の流れに逆らうように飛び続けてきた。その間に台頭してきた今回のチームの三選手。高い次元で代表を争い、再び世界のトップに伍(ご)する「日の丸飛行隊」を率いたことが葛西の涙を呼んだ。

 膝の故障を抱えながら飛んだ伊東大貴は「本当に痛かった…でも、終わるまで痛いって、言いたくなかった。(膝が)最後までもってよかった」と涙声。「ノリ(葛西)さんが決めてくれた」と大ジャンプをそろえた大先輩に感謝した。

 難病をおして出場した竹内択も「入院した時に五輪をあきらめかけたけど、なんとかここまできた。今できる精いっぱいのジャンプだった。(メダルは)葛西さんに尽きる」。チーム最年少の二十歳、日本にスキーを伝えたとされるオーストリア軍人の名を持つ清水礼留飛は言った。「先輩たちのがんばりでとれたメダルです」

 冬季五輪史上最多の七回連続出場、結果が出なくても決して夢をあきらめなかった男にソチの空がくれた二度目の祝福。「最高のオリンピックになった」。涙が乾いた後、四十一歳は晴れ晴れとした笑顔を向けた。けがや難病に負けず、立ち向かった後輩たちに。 (ソチ・杉藤貴浩)