スキー・ジャンプ男子団体が17日行われ、日本は20歳の清水礼留飛(雪印メグミルク)、26歳の竹内択(北野建設)、28歳の伊東大貴(雪印メグミルク)、41歳の葛西紀明(土屋ホーム)のオーダーで臨んで3位に入り、1998年長野大会で優勝して以来16年ぶりにメダルを獲得した。葛西はラージヒル個人の2位に続く2個目のメダル。日本ジャンプが低迷期を脱し、新時代の幕開けを告げた。

競技終了後、ランディングバーンで1~3位のフラワーセレモニーが行われた。表彰台に向かう日本チーム。左膝裏を痛めて足を引きずる伊東に肩を貸したのは、同じ北海道下川町出身の先輩葛西だった。インタビューで最初に答えた葛西は「みんなが頑張った。メダルの色は関係ない。4人で力を合わせて(メダルを)取れたことがうれしい」と喜びをかみしめながら、感極まって涙声になった。

3人の後輩が続く。伊東は大会直前に膝を痛め、ノーマルヒル個人を欠場した。「精いっぱい頑張った。(膝は)本当に痛くて、つらかった」。竹内は体調を崩して1月にチームをいったん離脱した。「入院した時は五輪をあきらめかけた。今できることを精いっぱいやった」。清水は「僕の力じゃない。先輩たちに感謝したい」と結んだ。

4人が計8回のジャンプを飛ぶ団体戦は、各国の総合力を示す。日本は94年リレハンメル大会で銀メダル、98年長野大会で金メダルを獲得した。リレハンメルでは2回目の最後に、原田雅彦がまさかの97・5メートルの失速ジャンプで、ドイツに大逆転を許した。長野では1回目、吹雪の悪条件の中、3人目の原田が79・5メートルでピンチに立ったが、2回目に岡部孝信、斎藤浩哉、原田、船木和喜が大ジャンプをそろえて、歓喜の優勝を果たした。

過去2大会のメダルと違うのは、8回のジャンプが全てK点(125メートル)を越え、ミスがなかったことだ。オーダーも見事に当たった。

トップバッターに起用された若武者・清水が2回とも、第1グループで2番目の得点を挙げて役割を果たした。本調子ではない竹内、伊東が「つなぎ役」に徹した。そして、大黒柱の葛西が1、2回目とも134メートルをマークし、揺るぎのないジャンプを披露した。

長野大会後の団体戦で日本は2002年ソルトレークシティー大会が5位、06年トリノ大会が6位、10年バンクーバー大会が5位と振るわなかった。今回の銅メダルがさらなる飛躍のきっかけになることを期待したい。18年には同じアジアの韓国で平昌大会が行われる。

(共同通信編集委員 原田寛)

☆原田寛(はらだ・ひろし)1956年秋田県生まれ。共同通信ではスキー、テニス、五輪などを取材。冬季五輪は1994年リレハンメルから2010年バンクーバーまで4大会を取材。運動部副部長、大阪運動部長を経て現在、編集委員。