ノルディックスキー・ジャンプ男子ラージヒルで、銀メダルを獲得した41歳の葛西紀明(土屋ホーム)は、表彰台で両手を突き上げながら跳びはねた。「今までのつらかったことを含め、うれしさを表現したかった」。“7度目の正直”で銀メダルに輝いた葛西紀明。41歳は今も世界のトップ級で、欧州ではレジェンド(伝説)と呼ばれる。五輪の個人種目でようやく立った表彰台。諦めの二文字を知らない男が不屈の魂を体現した。

 1998年2月17日夜。長野市内は五輪ジャンプ団体金メダルの表彰式で沸いていた。メンバーを外れた葛西と吉岡和也(土屋ホーム)は食事に出掛けた。吉岡は「(日本チームで)表彰式を欠席したのは多分2人だけ。ジャンプの話は一切出ない。悔しさが伝わってきた」と振り返る。

 葛西は長野の悔しさをバネに、はい上がろうと決めた。肉体をさらに鍛えた。

 しかし、4年後のソルトレークシティー五輪。またも非情な結果が待っていた。

 ノーマルヒルの着地でうつぶせになるように転倒。気持ちは切れた。団体戦前日の練習。2回飛んで「やめます」と言って競技会場を去った。「もう飛びたくない」。初めて思った。どん底だった。

 帰国後、所属先が世界トップ級のフィンランド人コーチを招いた。「もう一度世界を目指そう」と背中を押され、立ち上がった。翌年の世界選手権は三つのメダルを獲得した。トリノ、バンクーバー五輪で欧米勢に負けても前だけを向いた。

 長野から16年、磨き上げてきた力と技がようやくかみ合った。葛西は「諦めずに五輪に出続ければ、メダルを取れると証明できた」と胸を張った。

 亡き母への思いも実った。「小さいころは貧しかった」と姉の浜谷紀子さん(44)。大工だった父は病気などで働けず、母・幸子さんが仕事を掛け持ちして一家を支えた。だが、幸子さんは火事でやけどを負い、長野五輪前の97年、48歳で亡くなった。

 葛西は覚悟を決めた。紀子さんは「『五輪でメダルを取れば、母の夢もかなう』とやってきた」と代弁する。

 「紀明は強い人間だから、負けるようなことはないと信じています」。母が書いた手紙だ。落ち込むと読んで涙し、気持ちを奮い立たせた。大舞台にはいつも持参していた。

 ただ、今季はワールドカップ(W杯)で10季ぶりに優勝するなど好調。「手紙は弱い時に読む。今は強い気持ちを持っているから」と置いてきた。天国から支え続けてくれた母への感謝は、メダルとなって実った。目指す色ではなくても、喜んでいるに違いない。

 試合後、早くも4年後の韓国・平昌(ピョンチャン)五輪挑戦を宣言した。「次こそ完璧なジャンプで金メダルを取る」。“葛西伝説”は、終わらない。(舩本篤史)

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