ついにやった。日本選手団主将の葛西紀明(土屋ホーム)が有言実行の大飛行をして、ジャンプ男子ラージヒルで銀メダルを獲得した。1994年リレハンメル大会こそ2位のメンバーに名を連ねたものの、個人種目では力を発揮できないままでいた。41歳の大ベテランが7度目の五輪挑戦で手にした待望の栄冠だった。

会場のルスキエゴルキ・センターでは出身地の北海道下川町の応援団が持ち込んだ鯉のぼりが元気よくはためいていた。一緒に出場している伊東大貴(雪印メグミルク)も同郷の後輩だ。強く吹き付けていた風が収まったところで競技は始まった。

葛西は好調だった。1回目はカミル・ストッホ(ポーランド)とともに139メートルの最長不倒を記録。飛距離点、飛型点に風の要素などを加味した得点でストッホが首位に立ち、葛西は2位につけた。スタートゲートが2段下がった2回目は133・5メートルを飛んだ。この時点で2位以上が確定しチームメートが駆け寄って、先輩を祝福するシーンも。最後のストッホは132・5メートルにとどまったものの、合計得点では葛西を上回りノーマルヒルに続く2冠制覇が決まった。飛距離に換算すれば1メートルに満たないほどのわずかな差だった。

「誰が勝ってもおかしくない状況で銀メダルを取れた。自分を褒めたい。自分が力ずくで取った銀なので(団体2位の)20年前とは比べものにならないくらいうれしい」。満面に笑みを浮かべながら素直に喜んだ。

今季はワールドカップでずっと好調を維持してきた。飛距離だけを競う1月のフライング大会で優勝し「41歳が最年長優勝」と欧州でも騒がれた。これは10シーズンぶり通算16度目の優勝だった。そして16戦して15度トップ10入りし、表彰台には4度立った。両方のスキーの間から顔が見える低い前傾姿勢から昔は「カミカゼ」と言われ、今は「レジェンド(伝説)」として欧州では人気のジャンパーだ。

そんな葛西にも日本では「運のない男」のイメージが付きまとってきたのを否めない。所属したチームが次々に廃部したり、長野五輪での悲劇。長野では直前に足を痛めたことで歓喜の団体優勝のメンバーに加われなかった。ここソチでもノーマルヒルは8位にとどまっていた。

だがこの日のメダルで流れは大きく変わった。「金メダルを取って本当にレジェンドと呼ばれたかったが、また金メダルという目標ができた。諦めずに頑張りたい」。17日夜(日本時間18日未明)の団体戦に勢いを持ち込んで挑戦する。

(47NEWS 岡本彰)

☆岡本彰(おかもと・あきら)共同通信の運動部で記者、デスク、部長などの立場から1972年札幌五輪以来多くの大会報道に携わった。記者としてはスキーを担当し、現在は47NEWS。