羽生結弦(ANA)、19歳。大会第8日にして日本に金メダリスト第1号が誕生した。2006年トリノ大会で荒川静香が女子フィギュアを制して以来通算10個目となる頂点の座である。

 前日のショートプログラム(SP)で首位に立った羽生はパトリック・チャン(カナダ)の追い上げを許さなかった。立ち上がりの見せ場、4回転ジャンプでつまずいた。しっかり回り切ったものの尻もちをつく失敗。しかしこのミスにひるまず、ジャンプが続く後半の苦しい場面も何とかしのぎ切った。この日のフリーの得点は178・64点。ひたむきに全力を尽くす、そんな彼らしい気概が伝わってくる演技だった。

 羽生の直後に滑ったチャンには不満が残る内容だった。連続ジャンプをぴしゃりと決めて順調に滑り出したもの、中盤以降はジャンプに絡む小さなミスを連発。息も絶え絶えといった様子で演技を終了した。178・10点しかもらえず、19歳の若者の逃げ切りを許してしまった。

 競技開始前の2人は、SPの史上最高得点を出した羽生が3・93点差でリードしていた。チャンにすれば逆転可能な数字で、それにかけていたはずだ。だがこの状況がチャンの過剰な意識を呼び覚ましたのではないだろうか。演技順が羽生の直後というのも焦りを誘った一因だろう。

 これは全くの私見だが、チャンの内部には羽生に対する苦手意識が急速にしかも根強く巣食っていたとみる。昨年12月のグランプリ(GP)ファイナルで2人は今季3度目の直接対決を演じた。それまで2度の対決では、世界選手権3連覇で23歳の強豪に対する羽生のライバル意識が強く出すぎて勝負にならなかった。それがこのファイナルでは、19歳が圧倒的な出来栄えで快勝した。若者には自らのスケートに対する大きな自信が芽生え、追う側に回ったチャンと、2人の対場は逆転したのだろうと推測する。

 試合後の羽生は「表彰台に上がって花束をもらってうれしかった」と白い歯を見せた。その前置きとなったのが「緊張した。やっぱり五輪はすごいなと思った。うれしいなと思うのが半分、自分の中では悔しいと思うところが結構ある」の言葉だった。単に勝利を喜ぶだけでなく、不本意な競技内容についての悔いを隠そうとはしなかった。

 恐るべき19歳。2011年の東日本大震災の際は仙台のホームリンクで練習中に被災し、スケート靴を履いたまま逃げだした。自宅は全壊し避難所生活も体験。練習場所を求めて各地のリンクを転々とした時期もあるという。

 全ては幼いころから取り組んできたフィギュアスケートへの熱い思いが原動力になっている。現在はカナダのトロントに拠点を移し、4年前にキム・ヨナ(韓国)を女王の座に導いたブライアン・オーサー・コーチに師事している。日本の女王、荒川は東北高校の先輩と、何やら因縁めいた話もある。

(47NEWS 岡本彰)

岡本彰 1947年生まれ、北海道出身。共同通信の運動部で記者、デスク、部長などの立場から1972年札幌五輪以来多くの大会報道に携わった。記者としてはスキーなどを担当し、現在は47NEWS。