【ソチ舩本篤史】「メダルを見せてあげられなくて、ごめんなさい」。11日に行われたノルディックスキー新種目のジャンプ女子。試合後のドーピング検査室で、金メダル獲得を期待されながら、4位だった17歳の高梨沙羅(クラレ)は口を開いた。山田いずみコーチ(35)は「(こっちこそ)ごめんね」。2人の目が涙で潤んだ。

 山田コーチは女子だけの大会がないころから飛び続けてきた第一人者。小学2年でジャンプを始めた高梨の憧れだった。ヘルメットをもらったお礼の手紙を書いたことがきっかけで文通が始まった。手紙や一緒に出場した大会スコアは高梨の宝物だ。2009年3月21日、山田コーチの現役最後の試合。高梨は泣きながら花束を渡した。「全日本(チーム)に入れるように頑張ってね」と励まされた。

 山田コーチと入れ替わるように、高梨は頭角を現した。09年夏に海外遠征代表に。11年1月には国内最長不倒となる141メートルを飛んだ。同年4月に女子ジャンプの五輪種目採用が決定。メダル候補として一躍注目を集めるようになった。

 脇目もふらず、ジャンプに打ち込んだ。黙々と練習し、抜群の集中力で勝利を積み重ねてきた。全ては女子ジャンプ関係者への感謝の思いがあったから。

 「小学校高学年のころから全日本で一緒に行動させていただいた。先輩たちにお母さん代わりというか、育ててもらった」

 恩返しをするため五輪で勝とうと心に決めた。目立つことが好きなわけではない。「写真を撮られるのも本当は苦手」。それでも自分が活躍することで、女子ジャンプが注目を浴び、認知度が高まる。憧れの人から引き継いだバトンを握った17歳は必死に走り続けてきた。

 勝つために細部までこだわった。靴下はテーピングのような圧力がかかる着圧型。足首が固定されて膝が安定した。食生活の改善と練習で体脂肪率が下がり、ジーンズはぶかぶかになった。

 金メダルの本命と言われ、期待を一身に背負ってきたが、まさかの4位。「たくさんの方に応援してもらった。良いところを見せたかったが、できなかった」と悔やみ、「表彰台に立ちたかった。悔しい気持ちでいっぱい」と唇をかみしめた。

 山田コーチは「今まで一生懸命やってきたし、今日は一番頑張った」。優しく伝えた。

 五輪で女子ジャンパーが初めてメダルを争った歴史的な日。日本のエースはソチで誓った。「もっともっと強くなりたい。今度こそ(4年後の平昌(ピョンチャン)五輪で)感謝の気持ちを伝えたい」。大丈夫。先輩たちに思いはきっと届いている。