日本スノーボード界念願の五輪表彰台を射止めた1人は雪の少ない奈良県の平野部で育った平岡卓(18)=フッド=だった。「五輪で金メダルを取りたい」。明快で壮大な目標をかなえるための努力の場として郡上市の雪山が彼を支えた。

 3歳でスキーを始め、小学1年でスノーボードと出合う。冬場は父賢治さんが運転する乗用車で5、6時間かけて郡上市高鷲町の高鷲スノーパークに通い詰めて腕を磨いた。

 通い始めた当初からその姿を見てきた昨季の日本代表コーチ岩橋優さん(40)=同町=は「卓の存在をはっきりと認識したのは小学3年生のころだったと思う。少し上の年代の選手と切磋琢磨(せっさたくま)しながらめきめきと上達。1年ごとにうまくなっているのが見て取れてエアの高さも技の切れも際立っていたのを覚えている」と振り返る。

 同スキー場をホームゲレンデに平岡と共にソチ五輪を目指してきた現役ライダーの青木亮(26)は「小さいころから滑る姿がほかの選手たちと違っていた。きっと強くなるんだろうなと感じて見ていた」と目を細める。

 五輪やワールドカップでも使われる高さ最大22フィート(約6メートル70センチ)のハーフパイプ(HP)が造れるスイス製マシンを備えるのは、国内で同スキー場だけ。国際規格のHPは西日本全域から有力選手たちを引き寄せ、そんな中で平岡はもまれ、成長を続けた。「卓は周りのみんなに教えられて育ったと言ってもいい。通っていた名のある選手の滑りを見てアドバイスをもらい、素質を開花させていった」と岩橋さんは語る。

 そして中学3年の夏に活躍の場を海外へ移すと一気に国内の一線級に。2010、11年の世界ジュニア選手権を連覇、13年ワールドカップでは初優勝を遂げた。

 平岡の長所を周囲は「どんな状況下でも強気の滑りを貫き通せるところ」(岩橋さん)と言い、本人も「本番に強いこと」と語る。ソチ五輪決勝2回目、最後のランで高得点をたたき出し、逆転でメダルを奪い取った姿はまさに「卓らしさが存分に表れていた」(同)。決して恵まれていたとはいえない環境をはねのけ、むしろ反骨心に変えながら努力を続けてきた若武者にとって、ブロンズ色に輝くメダルは取りあえずの“ご褒美”と言えるだろう。