ソチ冬季五輪から採用されたスキーのジャンプ女子は30選手が出場して行われ、初代女王の本命とみられた17歳の高梨沙羅(クラレ)が4位に終わる予想外の展開となった。「納得のいくジャンプができず、すごく残念」と試合後に高梨は涙をにじませた。19歳の伊藤有希(土屋ホーム)は7位に入賞した。

 1924年の第1回シャモニー大会から始まった五輪ジャンプに新たな歴史が刻まれた。午後9時半から1回目を開始。右膝の大けがから復帰したサラ・ヘンドリクソン(米国)がトップバッターで登場したが、精彩を欠き94メートルと失速。29番目のカリーナ・フォクト(ドイツ)が103メートルの大ジャンプを披露した。

 ランキング1位の高梨は最後の30番目。ジャンプに不利な追い風の中で100メートルを飛びながら、着地でテレマーク姿勢を取れず、飛型点でロスした。それでもトップのフォクトと2・7点差の3位。飛距離に換算すれば、1・5メートルで順番が入れ替わる点差だ。

 誰もが高梨の逆転を信じた。だが、2回目も追い風で飛距離は98・5メートルと伸びず、着地して腰が落ち、飛型点で大きく劣った。高梨はテレビカメラに向かって、笑って右手を振り、深くお辞儀した。何かをつぶやいたようにも見えた。応援してくれた人々に「ありがとう」と伝えたかったのか、「ごめんなさい」と謝りたかったのか…。

 2011年4月にジャンプ女子の五輪実施が決まった。その年の冬からワールドカップ(W杯)が始まって3シーズン目。高梨は13戦で10勝をマークし、表彰台を逃したことがない。内外メディアがこぞって152センチ、45キロの小さなジャンパーを五輪金メダルの最有力候補に挙げた。W杯の勝利数だけを見れば、彼女の「独走」に見える。だが、圧倒的だった飛距離の差は縮まっていた。

 高梨は「どの試合も変わらずに挑んだつもりだったけど、やはりどこか違うところがあると感じた」と振り返った。意識するつもりはなくても、金メダルの重圧がジャンプのタイミングを微妙に狂わせたのかもしれない。同時に、外国選手のレベルアップを感じていたはずだ。

 五輪種目に加われば、各国の強化の取り組みも違ってくる。これまで一握りだったトップ選手と追い掛ける選手のレベルの差はもっと縮まり、優秀な選手がどんどん出てくるだろう。ジャンプ女子の将来にとっては喜ばしいことだ。4年後の平昌五輪では誰が「クイーン・オブ・ジャンプ」の称号を手にするだろう。

(共同通信編集委員 原田寛)

1956年秋田県生まれ。共同通信ではスキー、テニス、五輪などを取材。冬季

五輪は1994年リレハンメルから2010年バンクーバーまで4大会を取材。

運動部副部長、大阪運動部長を経て現在、編集委員。