フリースタイルスキー女子モーグル決勝で出場選手中最年長の34歳、上村愛子(北野建設)が前回バンクーバー大会に続いて4位となり、5度目の五輪挑戦でも悲願のメダル獲得はならなかった。

 今回からモーグル決勝の試合方式が変わった。厳しいサバイバルレースが導入された。そのため、上村は10代選手にも負けない体力強化を積んできた。20人で競う決勝1回目を9位で通過。12人が進んだ2回目はぎりぎりの6位で通った。最後にメダルがかかった3回目はトップバッター。リラックスした様子でスタートし、不規則なコブを攻略した。ゴール後、点数も見ずに涙が出てきた。それほどの達成感があった。3選手を残してトップをキープ。今度こそ、メダルが取れるかも…。しかし、実力者たちが上村を上回る高得点をたたき出す。ジュスティーヌ、クロエのデュフールラポワント姉妹(カナダ)が1、2位を占め、前回優勝のハナ・カーニー(米国)が3位となり、上村の最後の夢を打ち砕いた。

 18歳の白馬高3年で初出場した1998年、地元の長野大会から、順位は7―6―5―4―4。こんなに表彰台までの距離が近くて遠かった選手がいただろうか。本人が一番悔しい。それでも、レース後「自分らしさ」を強調し、いつもの「愛子スマイル」でインタビューに真正面から答えた。「すがすがしい気持ち」「オリンピックはいい思い出で終われる」。メダルに手が届かなくとも、誰にもまねのできない五輪を経験したからこそ言える言葉だろう。

 長野大会は、3歳年上の里谷多英が冬季五輪で日本女子初の金メダリストに輝いた。上村は7位だったが、里谷の快挙を自分のことのように喜んだ。4年後のソルトレークシティー大会はワールドカップなどで好成績を挙げた上村に、メダルの期待がかかった。結果は再び、里谷が大舞台での強さを発揮して銅メダルを獲得し、上村は6位に終わった。

 昨シーズン、里谷が引退を発表した記者会見場で、上村は「越えたくても越えられない壁だった」とねぎらいの言葉をかけた。壁に当たって、したたかに強くなったのは上村の方かもしれない。4年ごとに一段ずつ順位を上げるなんて、奇跡に近いことだ。

 夫の皆川賢太郎さんもアルペンスキー男子回転で4大会に出場し、2006年トリノ大会の4位が最高だった。銅メダルにわずか0秒03差で、半世紀ぶりの日本アルペン選手の表彰台はならなかった。「悔しいけど素晴らしい五輪になった」とさわやかに語った皆川さんだったが、勝負の神様は最愛の人にもご褒美を与えてはくれなかった。

(共同通信編集委員 原田寛)

原田寛[はらだ・ひろし]のプロフィル

1956年秋田県生まれ。共同通信ではスキー、テニス、五輪などを取材。冬季

五輪は1994年リレハンメルから2010年バンクーバーまで4大会を取材。

運動部副部長、大阪運動部長を経て現在、編集委員。