ロンドン五輪のレスリング・グレコローマンスタイル55キロ級に、焼津市出身の長谷川恒平選手(28)が出場する。北京五輪の銀メダリスト、松永共広さん(32)に続き、二大会連続で同市出身のレスラーが夢の舞台を踏む。人口十四万の焼津でなぜ強いレスラーが生まれるのか。そこには指導者の熱い思いがあった。   焼津市に初めてレスリングが持ち込まれたのは一九五四年。日体大で競技に取り組んでいた栃木県出身の元高校教諭広沢巡(じゅん)さん(82)が焼津水産高にレスリング部を立ち上げた。県内初の創部だった。  広沢さんは「よくプロレスと間違われた。当時の焼津市長には『教育的にどうも』と言われ、五七年の静岡国体では焼津がレスリング会場にならなかった」と振り返る。  広沢さんは六三年に開校した焼津中央高にも部を創設。その後競技人口の拡大を狙い、両高の教え子たちが八六年に市内最初のジュニアチーム「焼津ジュニアレスリングスクール」を誕生させたことが、焼津のレスリング発展の礎となった。  連続の五輪出場に市レスリング協会長の寺尾仁秀さん(59)は「ジュニア選手の育成が実を結んだ。特に焼津リトルファイターズの功績は大きい」と話す。  「リトル」は「ジュニア」のコーチだった渡仲(となか)啓市さん(64)=静岡市=が練習方針の違いをめぐり、ジュニアから独立して八九年に設立。松永さんと長谷川選手もOBだ。  リトルの練習は「体力トレーニング七、技術練習三」(渡仲さん)。二十分走や筋力トレーニングなどで二時間。休憩を挟み、一時間半のスパーリングを繰り返す。渡仲さんは「技術は後からでも身に付く。この年代は基礎体力を付けることが大事」と言い切る。  厳しい練習の成果はすぐに現れ、全国優勝する選手が続出。寺尾さんは「子どもにハードな練習はいかがかという時代。当時のタブーを破る練習は革新的だった」と述懐する。  今も週二日の練習日を中心に、十数人の子どもたちがマットに集まる。「技術的なミスは怒らないが、手を抜くのは許さない」(渡仲さん)という指導の下、練習中の目は真剣そのものだ。長谷川選手は「手を抜くと怒られ、気付くと手の抜き方が分からなくなっていた。その積み重ねで今の僕がある」と感謝する。  近年はジュニアも力を付け、小学生の全国チャンピオンを多く輩出しているが、指導者たちはさらに上を見据える。  寺尾さんは「ジュニア世代だけ強化してもダメ。高校、大学とレスリングを続けてもらい、将来につながる指導を効率よくできるかが課題」と話す。 (深世古峻一) ...[記事全文](this.kiji.isドメインへ遷移)